長野県の湖、諏訪湖周辺を舞台にするこの映画。
自分がそこの出身というのもあって気になっていました。
そして、見る前と見た後での感想が全く違うモノになりました。
ここまでギャップがある作品は珍しいと思います。
※注意:この記事にはネタバレが多分に含まれています。作品をご覧になっていない方にはオススメできません。
※注意:また性倫理について語る部分があります。個人的に勉強はしていますが、間違っている事もあるかもしれません。ご了承ください。
2023年公開の作品。監督は是枝裕和、脚本は坂元裕二。音楽が坂本龍一。公開直前に坂本龍一が亡くなっています。遺作となったので弔辞の言葉が入れられています。
主演は安藤サクラ、永山瑛太、黒川想矢、柊木陽太。第76回カンヌ国際映画祭において、脚本賞、クィア・パルム賞を受賞した。
冒頭にも書いた通り、地元の景色が映る中で描かれる幻想的な雰囲気にやられてしまいました。
しかも基本的に美しい映像であり、美しく切なく、狂おしい物語。
視点の違いが、完全に人物イメージの違いになる絶妙な見せ方。
人が思う「良い」事は、その時のその人にだけのものである事が描かれます。
基本的に悪い人間は出てきていないが、時代とともに変わる価値観や、立場の違いや年齢の違いによる視点の違いが複雑に絡み合い、人々を追い詰めていきます。
さらに必要最低限のことしか語らない事で、見た人間の想像などに任せる余白のうまさ。
そして、美しく開放的なラストシーン。
世界的に非常に評価が高い『ドライブ・マイ・カー』よりも、自分にとっては心に染み込んだ作品です。
さらに、見る前と見た後でのギャップの大きさがすごいです。
『怪物』と言う何か、猟奇的で恐ろしげなタイトルに流血ドロドロのえげつない内容を覚悟していたのですが、そんな事もなかったです。
見ている側が精神的に追い詰められると言う事もないので、すんなり内容が入ってくる感じがあります。
優しい人々がその優しさの方向が少しズレることで、誰かを追い詰めてしまう。
また、説明すると言う事を最小限にしているので、見返すたびに新たな発見がありそうです。
1カット、1カット全く無駄がないような凄さを感じます。
そして、今回の記事におきましては「ざっくりあらすじ」は割愛しています。
これには理由があります。
今作品は以下にも書きますが、三幕構成となっていて、物語が進むごとに明かされる内容が増えていきます。
ですから、ざっくりとした筋書きというのを書くのが困難なためです。
この作品の特徴は『羅生門』にも似た形式で描かれます。ただし、『羅生門』では語り部全員が嘘をついているのに比べ、嘘がほとんどないです。
スタートは湊の母親・早織の視点の章です。
いじめや虐待を疑った早織は学校に乗り込み、教師たちを問い詰めるが、校長をはじめ教師たちは波風立てないように話をすり替えようとすらすることにさらに激怒します。早織の立場であれば理解できなくもないです。
見ている自分も「保利をやっつけろ!行け行け!!」とすら思ってしまいます。また、その他の校長をはじめとする教師たちにも「全くひどい対応だ!」と腹を立てさえします。
第1章での「怪物」はモンスターペアレンツ化してしまう早織自身と心を持たない対応をする校長と教師たち、そして早織を「もっとやれ!やっつけろ!」と囃し立てる私たち観客です。
第2章は担任・保利のパートです。ここでは1章で見えていた保利という人物が全く悪い人物ではないことが判明します。それどころか、依里に対するいじめを心配し、湊の不可解な行動を責めるのではなく、理解しようとすらしていました。
いわゆる熱血教師です。しかも母子家庭育ちで非常にやさしい一面を持っています。
皮肉な事に第1章で沙織が求めていた男らしい真っ直ぐな教師であり、一番の理解者たり得た人物でした。
真実はケガや暴言にしても不可抗力や彼の言動ですらなかったのです。
しかしどんどん大事になり、保利は教師を辞めさせられます。
また、自ら「男の“大丈夫“と女の“また今度“は信用ならない」と言っていた恋人・広奈は「また今度」と言って保利の元を去ります。
結果的に彼女は保利の味方なのではなくて、彼を追い詰めていく社会の一部でした。
第2章での「怪物」は偏った情報を都合よく切り抜く大人たちです。「お前が学校を守るんだよ!」と言った時の校長の顔は「村を守るために生贄になれと迫る村長」と同じです。
第3章は湊をメインにした依里との物語です。そしてこの章で色々な謎が解き明かされます。
早織がいじめや虐待を疑った、水筒やけが、片方のスニーカーなどが実は全く違う真実を持っていたこと。
湊と依里は世界が生まれ変わるビッグクランチを待ち侘びるようになります。
3つのパートに分かれているだけでなく、同じ時間軸を別の視点から見ると言うことを3回繰り返します。
もちろんだんだん情報量が多くなり、最終的に実は本当はどういう状況だったのかが理解できた時にはあまりにも切ない、どうしようもない(校長先生的にはしょーもない)状況になってしまっています。
しかも、みんな悪人ではないのに。
唯一、湊だけが嘘をついてしまっています。
映像的に情報量とともに色味も増すようになっています。
早織の章はモノクロがベースの色味が少ない感じの映像。
保利の章は保利がきているジャージが印象的なブルーが目立つような演出になっています。
湊の章は、非常にカラフルで空も青々して、山や草原の緑も美しく艶があり、街中の風景や洋服などは赤やオレンジ・白などが美しく描かれます。
全体の構成が非常に細かく緻密に積み上げられています。
まるでパズルのように組み合わさっています。
同じ出来事であるのに、ある人物の視点に立つと、他の人物から見えている事と全く異なるというのが描かれています。
そして、世界観にマッチしたノスタルジックでスッと心に入ってくるような音楽。
担当したのは坂本龍一です。世界に名だたる彼が担当した最後の作品が今作となりました。つまり彼の遺作という事です。
製作時、すでに咽頭癌を患っており、2022年6月には両肺に転移した癌の摘出手術を受けていました。
そんな中、ピアノ曲、2曲を作曲して他のものは過去発表したものなどを使用したそう。
このピアノ曲が幻想的でノスタルジックであるが、どこかに緊張をはらんでいるこの作品にぴったりハマっていて引き込まれてしまいました。
いじめ
モンスターペアレンツ
炎上による擬似正義
無自覚のデリカシーない言葉
ひとり歩きする噂話
これらの問題に対しての正義感こそが、さらに強い流れを生み出し、どうにも引き返せないところまで人々を追い詰めていきます。
昨今、LGBTQIAという言葉が定着し、ドラマや映画などでもごく普通に描かれる事が多くなってきました。
昔、仕事の関係で多くの方とお会いし、お話しする事ができたので全くと言っていいほど、こだわりが自分にはありません。
ただし、まだまだ理解なく、ただただ毛嫌いするような人たちがいることも確かで、社会生活において「苦労」することが多いようです。
そして、今作においてはその「苦労」は湊と依里に重くのしかかってきます。それは何気ない言葉や態度も含みます。
早織は、ラガーマンであった湊の父のように“男らしく“、“普通の家庭と幸せ“を築いて欲しいと湊に言います。
CTスキャンを受けた後、湊は早織に脳に異常がなかったかどうか聞きます。「依里のことが好き」な自分の脳に異常があればそのせいに出来るからです。
でも「何にも異常はない」と言われてしまいます。
「普通ではない」という事を突きつけられて深く絶望してしまいます。
沙織はその事に全く気づきません。
保利はスポーツマンであり、今まで育ってきた環境に全く疑問を持っていません。そして身の周りに自分の常識から外れているような存在がいるという事も全く考えていません。
広奈に対しても、割といい加減なデリカシーのない態度を取る事があります。
結果的に、「男だろう!」とか、自分の小学校5年生の頃の作文を無邪気に発表し「西田ひかるさんと結婚します」などと言ってしまいます。
悪気がないのと基本善人であると言うことは湊と依里は理解しています。だから保利宛てに作文にの中に暗号を入れます。
「異性愛至上主義」という言葉で合ってるのか疑問ではありますが、依里の父親である清高はLGBTQに対して否定的な考えを持つ人です。
だから「しつけ」と称して依里を虐待し続けます。
具体的な虐待シーンはありませんが、想像できるのは叩いたり、火傷を負わせるような事をしたり、水責めです。
これは基本的に依里が長袖・長ズボンをいつも着用していることから、傷を負ってるのを隠しているだろう事、早織が訪問した時に火傷跡を見つける事、保利が尋ねたときに庭の植木に水をやるのですが、水圧が非常に強かったり、台風の日に湊が駆けつけるとバスタブの水の中でぐったりとしている事などから推測できてしまいます。
依里は深い絶望と、ビッグクランチによって世界が自分と湊をごく普通に受け入れてくれるようになる事をずっと祈っていたのだと思います。
同級生で湊の隣の席の美青はBL=ボーイズラブに興味があります。読んでいる漫画もBL漫画だし、湊と依里の関係に気付き、いつも密かに視線を向けています。
唯一の理解者的な立場でもあるのですが、彼女はエンタメとして興味があるだけで、ふたりの真の理解者ではないです。だから男子たちが依里をからかったり、湊を煽っても見ているだけで助け舟も出さなければフォローする事もないです。
2人の楽園である、トンネルの向こうの古びた列車の中で2人はこの遊びをしています。
そして、これは2人だけの遊びであり、互いを認識するための合図としても使われます。
絶えず、観客にこの作品における怪物は誰なのかをずっと問いかけます。
同時に、怪物になってしまった理由や怪物が生まれてしまった原因を問い続けます。
元々、脚本での修正前のタイトルは『なぜ』だったそう。
それぞれの登場人物たちと見ている観客に「なぜ」と問いかける構造になっているわけです。
今作で具体的に語られていた「怪物」を見ていきましょう。
一面しか見る事ができずに、どんどんモンスターペアレンツ化してしまう早織。
暴走する噂話のせいで人々から怪物として認識されてしまう保利先生。
人間的な、感情的な振る舞いを一切排除してロボットのような態度をとる学校の教師の面々。
学校を守るために、親の言う事を聞き流し、その上ひとりの教師を犠牲にする校長。
キヨタカ(異性愛至上主義)家庭内暴力。他の価値観を認める事ができない。
一般的に暗闇の向こう側に住んでいるものを「化け物」や「怪物」と呼んでいます。
つまり、真っ暗なトンネルの向こう側に居場所(秘密基地としての列車)を見つけた湊と依里は「怪物」になったと言えるのだと思います。
本編中、最も具体的に「怪物」として明言されていたのが、2人の怪物ゲームの回答である、湊のナマケモノと依里のカタツムリです。
他のカードもありますが、互いに言い当てたカードは、画像にもあるナマケモノとカタツムリだけです。
カタツムリには、「怠惰」「忍耐」「自己防衛」「マイペース」「無意識」「幸運を運ぶ」などのイメージや象徴的な意味があります。
確かに依里を表すイメージに合っていると思います。
また殻の渦巻きには「幸福」「平等」「復活」などの意味があります。依里が湊に話す事は基本的にこの3つがベースとなっています。
ナマケモノは英語でも「怠惰」を意味するSlothです。「怠惰」とは「心を閉ざす」と言う意味もあります。湊は依里以外には心を開こうとはしませんでした。
また、「怠惰」を象徴するもので、幻獣としてはフェニックスがあります。
フェニックスは一生の終わりに一度、炎の中で転生します。
ふたりはビッグ・クランチで宇宙が生まれ変わると言う話をしていました。つまりフェニックスのように自分たちを受け入れてくれる新しい宇宙の中で復活する事を祈っています。
ちなみに、カードではっきりと見えるものとして依里が持っていたマンボウがあります。
これも「スピリチュアルな価値を見せるが、何を考えているか分からないミステリアスな存在」を意味します。依里そのものですよね。
象徴として諏訪湖を取り巻く周囲の街が映し出されます。
美しくも「こうあるべき」と言う空気により人々を縛り付けるものでもあります。
非常に大きくてひとりの人間の気持ちなどは簡単に疎外されてしまいます。
ただ、美しい景色が挿入されているのではなくて、保利を追い詰める「怪物」としてその巨大な姿を見せます。
しかも保利が学校で飛び降りようとした時は校長先生と湊が吹き鳴らす管楽器の音が怪物の咆哮のように演出されています。
しかしこれのおかげで保利は飛び降りることをやめます。
保利に対して2人からの暗号となっています。
そして、その暗号を解くことが出来るのは実は保利、ただひとりです。
湊と依里は保利が新聞や雑誌などの誤植探しを趣味にしている事を知っています。
劇中、確認できるのは湊と依里の名前をひらがなで「あいうえお作文」のように作文の最上段に横に書かれていました。
ここから保利は2人の関係性を理解して台風の来る雨の中、湊の家に行き外から叫びます。
「ごめんよ麦野!!」
湊の隣の席の女子である木田美青は劇中、不可解な行動をとります。
音楽準備室での2人の様子を覗いていたという描写があります。物音がして湊が準備室の外を見に行くと、手洗い場で手を洗っている美青がいます。
依里を揶揄って男子が投げた雑巾をわざわざ、湊に渡す→その後、湊が暴れる
電八的な解釈ではありますが、恐らく、美青は湊と依里の関係性にもともと気が付いているのだと思います。
彼女が読んでいる漫画はボーイズラブ作品であり、関係性に対して敏感であったのでしょう。
だからその視線は湊を追ってしまうのですが、同時に依里も捉えます。
教室で湊が依里を揶揄った男子たちに一緒に揶揄うように促された時に暴れ回ったのを見て、湊は依里に特別な感情を持っている事に勘付きます。
猫の死体を湊に見せたのは依里なのだが、嫉妬から先生に「湊が猫の死体で遊んでいる」と告げ口をするわけです。ここから、ほんのりと本人も自覚ないが湊に対しての淡い思いがあるように見受けられます。
でも追放された保利が湊を追いかけ回しているのを見たことと、噂がひとり歩きする怖さを見ているのと、もちろん「湊が猫を殺した」と言ったわけではないので「そんなこと言ってません」と保利から逃げます。
湊の母親は実は存在しない「先生からの暴力」で訴え先生を追い出し、教師たちは実態調査もせずに早織を「モンスターペアレンツ」として扱い、保利をスケープゴートにしてしまいます。彼女からすると、そんな周囲の大人は恐怖の対象だったでしょう。
保利は犠牲者ではありますが、潔白を訴えたいがために、結果的に美青からの情報を都合よく「切り抜き」しようとしました。
保利も他の大人たちと同じように見えてしまったのでしょう。だから「そんなことは言ってません」といいながらその場を逃げ出したのだと思います。
彼女にとっての「怪物」は情報を都合よく「切り抜く」周囲の大人たちだったという事です。
冒頭からビルの火災が何度か挿入されます。
よく見ると、依里はライターを持ち歩き、腕に火傷を負っています。
火事の日に紐につけたライターを振り回して現場近くを歩いているのを校長が見かけています。
依里が放火したのだと思わせるような描かれ方です。
そして、湊にビルに火をつけたのかを問われると「知ってる?お酒は飲むのは健康に悪いんだよ」と答えています。
つまり否定していないんですよね。
もし本当に依里が放火していたのなら、なぜそんなことをしたのか?
女の子みたいな依里は異性愛至上主義の父・清高に虐待されています。
人としての理想を自分に押し付ける父親が、道徳的にも健康的にもよくない事をするのは依里には耐え難かったのかもしれません。
道徳的にも健康的にも良くないことに父親を引き摺り込む、そのビルは依里にとって「怪物」だったのだと思われます。
火をつける事で怪物を退治したのでしょう。
つい言いたくなってしまう「チャッカマン」という名称ですが、これは日本の大手ライターメーカー、株式会社東海の登録商標です。 似たような他社製品については「ガスマッチ」「着火ライター」「点火棒」などと呼ばれることが多いようです。
実は30年以上前から、豚の遺伝子は意外と人間に近く、人間の身体のパーツをクローン技術を使って豚の体内に作り出し、必要な時に豚から摘出して生体移植に使用するというSF的な発想があります。
もちろん、猿や類人猿などの方が遺伝子的には近しいのですが、繫殖力や飼育コストも含めて考えると豚は最高の素材なのだそうです。
なので、SFやホラーでよく題材にされることがあります。
そして小林恭三『人獣細工』が似た事を言っています。
とある少女が何度も何度も身体のパーツを豚で培養したものに手術で入れ替えられていく。最後に脳を豚で培養された脳に入れ替えられてしまいます。
自意識は元の少女のままなのですが、果たして彼女は人間なのか?豚なのか?
依里の父・清高にとって、理解できない依里は怪物なのでしょう。
だから「依里の頭には豚の脳が入っている」のでしょう。
人と怪物の境界は果たして?
恐らく登場人物の中で最もやさしいのは依里でしょう。
この子はクラスの男子たちが自分をいじめてこようとも、気にもかけていません。
これは彼が小学校5年生ということで思春期を迎え、性に興味を持ち始めている男子たちの気持ちを受け入れているからです。
しかも女子と仲のいい依里に対する男子たちの嫉妬も敏感に感じているのと、「女子みたい」という事でいじめてきますが、依里にとってはそれはむしろ歓迎するべき感覚だったのでしょう。
さらに湊の気持ちも受け入れます。
湊はいじめの対象にはなりたくないので、表向き依里に無関心を装おうとします。
それが気に入らない男子たちは、依里を一緒にからかうように誘います。湊は依里をいじめたくない気持ちと、男子たちの仲間から外れてしまう恐怖に葛藤します。
依里はやさしい湊の葛藤を理解しています。
依里は人の気持ちに敏感です。父親に「怪物」だと思われて虐待されても、恨むどころか受け入れています。
さてさて依里が話していた宇宙の話です。
宇宙の始まりはビッグ・バン(宇宙開闢)というとんでもない大爆発が始まりです。それ以来、勢いは衰えずに爆発的に宇宙は広がり続けているという学説があります。
そんな宇宙の終わりはどうなるかと言う学説のひとつがビッグ・クランチ(宇宙の終焉)です。ある瞬間から全てが爆発した時と同じ勢いで収縮していきます。
時間の流れですら逆転してしまいます。
そしてまた、新しい宇宙がビッグバンにより生まれます。
これを依里ならではの言葉で湊に説明するシーンがあります。
まず、神社の参道で話しています。神社の境内は「子宮」を表し、参道はトンネルと同じで「産道」を表します。
つまり世界のあちら側とこちら側を分けている場所で、宇宙の生まれ変わりの話をしているわけです。
そして2人は話しながら、公園のロケットを模した遊具にいきます。
さらに秘密基地として2人が見つけたトンネルの奥の廃棄された古い列車。
トンネルの向こうは別世界です。
これは『銀河鉄道の夜』をモチーフとしていることは間違い無いでしょう。
『銀河鉄道の夜』では親友の2人が様々な星をめぐり、冒険をしますがカンパネルラは途中の駅で降りてしまいます。
主人公のジョバンニは後日カンパネルラがその夜亡くなっていた事を知ると言う話です。
湊と依里が列車の中を星で飾り付けするのは『銀河鉄道の夜』をモチーフにしているからです。
この列車は2人をあたらしい世界に連れて行ってくれる乗り物なですね。
台風の中、湊が依里の家に行くと依里が水を張ったバスタブの中でグッタリとしているのを発見します。
湊は「ビッグ・クランチがくるよ」と依里をバスタブから助け出します。
この後、2人が登場するのはトンネルの中で、列車が無事だと言うのを発見し、その中で「出発の音」を聞く場面です。
早織と保利は2人を探します。そしてトンネルの向こうの列車に向かいます。トンネルを潜ると列車が横転しているのが見えて、2人は中を確認しようと窓をこじ開けるが、中に2人の姿はありませんでした。
校長が河辺(?)で何かを唖然と見下ろしています。
依里の父・清高は何かに気を取られ、路上で転倒してコンビニ袋の中身を散乱させます。
トンネルは漢字で書くと「隧道」と書きます。「隧」は子宮から伸びる産道の事です。
転じて、生と死の間の道、もしくは別世界への道を象徴します。
これらを踏まえて、「想像」してみます。
恐らくですが、湊がバスタブで見つけた依里はここで亡くなっているのだと思います。
湊はビッグ・クランチ到来に備えて依里を抱え、トンネルの向こうの列車を目指します。
なんとか辿り着き列車の中で力尽きた湊は夢を見ます。2人で「出発の音」を聞き、発車を待つ夢を。
激しい土石流によって列車は横転します。増水した水路の水が2人が座っていた脇の窓を開き、そこから2人の身体は下流へ流されてしまいます。
河辺で雨に打たれながら湊と依里の遺体を見つけた校長。(これが雨に打たれながら呆然としている理由なのだと思います。)
列車から戻ってきて早織と保利は子供の遺体が発見されたと聞きつけ、駆けつけます。2人の遺体を見て号泣する早織と保利の声を、コンビニから帰ってきた清高が聞きつけ依里の死に愕然として倒れ込みます。
湊と依里は肉体的には死を迎えてしまいますが、ビッグ・クランチにより世界は急速に時間が逆転・収縮します。そして、新たにビッグ・バンが起こります。
列車の下から這い出して、狭い水路の中を通って明るい光がさす場所に出ます。一瞬、画面が真っ白になります。
これが新たなビッグ・バンが起きた瞬間でしょう。
依里「生まれかわったのかな」
湊「そういうのはないと思うよ」
依里「ないか」
湊「ないよ。もとのままだよ」
依里「そっか。良かった」
時間が逆行して2人は「元のまま」に甦っています。
2人は新しく生まれた宇宙の新しい世界、それも色々な価値観でがんじがらめにならない「柵がなくなった」トンネルの向こうへ走っていきます!
依里の洋服がTシャツに短パンになっています。これは今までの虐待の跡が全て綺麗に消えたのでしょう。
2人は自分たちが自分たちのままでいていい新しく生まれ変わった世界に向かって行ったのだと思います。
ここで紹介した以外にも、まだまだ不思議だったり、今ひとつハッキリしない部分が細かく散りばめられています。完全に説明されていない部分というのもあります。
この映画のテーマである、「人は見える部分でしか想像できない」ということの象徴なのだと思います。
だから、そう言った部分については「想像してください」ということなのだと思います。
正しいとか間違っているとかではなく、想像してみる事が大事だという事なんです。
変な話かもしれませんが、この作品で想像することを訓練して、自分の実生活で周囲の事を想像してみたらどうでしょう?
新たな世界が開けるかもしれません。
その瞬間こそが、この作品で言うところの「ビッグ・クランチが起きて新しい宇宙が生まれる」=「生まれ変わる」と言う事なのかもしれません。
想像しましょう。少なくとも想像することは悪いことではありません。
2022年3月19日〜5月12日、7月23日〜8月12日に長野県諏訪地方(諏訪市・岡谷市・富士見町・下諏訪町)の約25カ所でロケーション撮影がおこなわれた。
以上はWikipediaからの抜粋です。
ドラマや映画にはよくある事ですが、地元に住んでいる人間からすると、かなり地理的におかしな紹介がされています。
地図を見ていただければわかりますが、諏訪市と岡谷市は諏訪湖を挟んだ対岸に位置しています。
例えば、ビル火災のシーンで燃えているビルは諏訪市の上諏訪駅のすぐ近くです。しかし消火に向かっている消防車が走っているのは岡谷市の街中だったり。
あと、早織が働いているクリーニングモモセですが、実はモモセというのは岡谷市・諏訪市ではよくある苗字なんでです。ちなみに「百瀬」と書きます。
つまり経営者の方が百瀬さんということなんですね~。
他にも細かいとこ色々です。
聖地巡礼とか、実際の地理なんかを確認しながら見てみるのも、また面白いと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます。今回の記事は以上となります。
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