1986年12月24日、クリスマスイブの夜。外はしん々と冷え込み、静かに雪が降り積もっていました。もう遅い時間なのに外が雪明りでボーっと薄明るくなっていました。あたたかい部屋のテーブルにはチキンとケーキ、オードブルが並び、母親のママ友とその子供たちと囲む夕食。その傍らでついていたブラウン管テレビから流れてきたのは、それまでの歌謡曲番組の常識を根底から覆す、とてつもない熱気と音楽の衝動でした。
画面の向こうで暴れまわる若き日のアーティストたち。民放や所属事務所、レコード会社の分厚い壁をあっさりと飛び越え、日本ロック界・ポップス界の頂点に立つスターたちが一堂に会してセッションを繰り広げていました。「なんだこれは……!」「こんな番組、見たことがない!」——あの日、画面の前で息をのんだ記憶は、30年以上が経過した今も鮮明な熱量を帯びたまま胸に残っています。
しかし、この番組は放送終了後、複雑な権利関係の壁に阻まれ、一度として再放送されることもDVD化されることもありませんでした。幻となった記憶を抱えたまま時が流れた2005年、インターネットの動画共有サイトで奇跡的にあの映像と再会を果たしたとき、こみ上げてきたのは20年越しの深い震えと感動でした。
AIが膨大なデータを検索して要約を作成する現代にあっても、あの雪の夜に覚えた興奮や、音楽がテレビというメディアを打ち破った瞬間の感動は、実際にその時代を生きた人間の記憶の中にしか存在しません。
本記事では、ブログ「電八ぶろぐ」の筆者・電八(@denpachi_matsuri)による熱い実体験を軸に、伝説の音楽番組『Merry X’mas Show(メリー・クリスマス・ショー)』の誕生秘話から破天荒な演出、演目・マッシュアップの全貌、そしてテーマ曲『Kissin’ Christmas』の37年にわたる歴史まで、10,000文字を超える決定版として完全網羅・徹底解説します。
| 項目 | 詳細内容 |
| 番組正式名称 | 『MERRY X’MAS SHOW』(メリー・クリスマス・ショー) |
| 放送日時 | 第1回:1986年12月24日(水)19:00〜20:54 第2回:1987年12月24日(木)19:00〜20:54(日本テレビ系列) |
| 発起人・企画 | 吉川晃司、桑田佳祐(企画協力:山下達郎 ※ノンクレジット) |
| 司会 | 明石家さんま(当時31歳) |
| 演出・制作 | 菅原正豊(制作会社フルハウス/現ハウフルス) |
| 主な出演者 | 桑田佳祐、松任谷由実、忌野清志郎、吉川晃司、BOØWY(氷室京介・布袋寅泰)、チェッカーズ、THE ALFEE、米米CLUB、Char、アン・ルイス、鈴木雅之、小泉今日子 ほか |
| テーマ曲 | 『Kissin’ Christmas (クリスマスだからじゃない)』(作詞:松任谷由実 / 作曲:桑田佳祐 / 編曲:KUWATA BAND) |
| 伝説と呼ばれる理由 | レコード会社・事務所の垣根を超えた豪華共演、常識破りの演出による5000万円超の赤字、複雑な権利関係による再放送・パッケージ化不可能な永久封印状態 |
『Merry X’mas Show(メリー・クリスマス・ショー)』は、日本テレビ系列にて1986年と1987年の12月24日、2年続けてクリスマスイブのゴールデンタイム(19:00〜20:54)に生放送(一部事前収録)された特別音楽番組です。
当時の日本のテレビ界は、バブル経済の足音が近づく中で空前のエンターテインメント花盛り。しかし音楽番組と言えば、『ザ・ベストテン』(TBS系)や『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)に代表される、ランキング形式や新曲プロモーションを中心とした歌謡曲メインの構成が主流でした。ロックミュージシャンやニューミュージック系のアーティストにとって、テレビ出演は厳しく制限されるか、敬遠されるのが当然の時代だったのです。
そんな時代にあって、『メリー・クリスマス・ショー』は「ロックミュージシャンが自ら作り、大真面目に遊ぶ特別番組」として企画されました。単に歌手が順番に登場して代表曲を歌うのではなく、番組のためだけに組まれたスペシャルバンドや、一夜限りのコラボレーション、洋楽と邦楽を自在にミックスするマッシュアップ演奏など、前代未聞の試みが凝縮されていたのです。
今でこそ年末の特番などでアーティスト同士のコラボレーションは珍しくなくなりましたが、1980年代半ばにおいて、所属レコード会社や芸能プロダクションの異なるトップアーティストが同じステージに立ち、一緒に歌うことは業界の構造上、ほぼ不可能とされていました。
しかし、『メリー・クリスマス・ショー』にはその常識を打ち破る顔ぶれが集結しました。
ロック、ポップス、歌謡曲、アイドルの枠組みを完全に解体し、日本中のトップミュージシャンが手を取り合って「本気の音楽遊び」を繰り広げた光景は、ブラウン管をとおして全国の音楽ファンに鮮烈な衝撃を与えました。
この怪物級の音楽番組において、司会を務めたのが当時31歳、人気お笑いタレントとして絶頂期へと駆け上がっていた明石家さんま氏でした。
個性と自我の強いロックミュージシャンたちがひしめくスタジオの中で、さんま氏は持ち前のテンポの良いトークと絶妙なツッコミで番組を軽快に回しました。ミュージシャンたちの緊張をほぐしつつ、決して音楽の邪魔をせず、バラエティと本格音楽番組の架け橋としての役割を見事に果たしたのです。
桑田佳祐氏をはじめとするアーティスト陣とのやり取りは洗練されており、番組全体に心地よいグルーヴ感をもたらしていました。明石家さんまという稀代のMCが存在したからこそ、この尖りきった番組がお茶の間のゴールデンタイムに成立したと言っても過言ではありません。
細かくはないのですが、この当時、明石家さんまは「歌う」という事について自他ともに音痴であるという認識でした。まあ、その後「ひょうきん族」などを中心に曲を提供されレコードとして発売されたりするようになったのですが。
とういことで、「明石家さんまが有名アーティストたちと一緒に歌う」という珍しい場面が見られるというのもこの番組の売りのひとつになっていたと記憶しています。
伝説の番組が生まれるきっかけとなったのは、1986年の半ばに行われた、あるお酒の席での激しい衝突でした。
当時21歳、飛ぶ鳥を落とす勢いでロックシーンを駆け上がっていた吉川晃司氏と、すでに日本のポップス界の頂点に君臨していたサザンオールスターズの桑田佳祐氏。酒を酌み交わす中、若気の至りと熱い音楽への情熱を抱えた吉川氏が、大先輩である桑田氏に向かってこう言い放ったのです。
「今の日本のテレビ音楽シーンがつまらないのは、桑田さん、あなた方の世代が第一線でぬくぬくやっていて、新しい刺激を作ろうとしないからですよ!」
一触即発とも言えるこの青臭くも真っ直ぐな挑発に対し、桑田佳祐氏は腹を立てるどころか、その熱い想いを正面から受け止めました。
「だったら、俺たちが本気で面白がれる音楽番組を自分たちの手で作ってやろうじゃないか」
桑田氏の胸に火がつき、吉川氏の言葉をきっかけとして、前代未聞のテレビ音楽番組プロジェクトが動き出すことになったのです。
企画の発起人となった桑田佳祐氏は、自ら電話を取り、親しいミュージシャンや後輩たちに次々と声をかけていきました。
吉川晃司氏と同世代の若手ロックバンドであったBOØWY(氷室京介、布袋寅泰ら)や、ライブハウスシーンから頭角を現していた米米CLUBなど、当時のテレビメディアが十分に魅力を伝えきれていなかった新世代のバンドたちにも積極的にアプローチを行いました。
桑田氏自身の圧倒的な求心力と「面白い番組を作りたい」という純粋なパッションに共鳴し、事務所やレコード会社の利害関係を超えて、若手からベテランまでの豪華な顔ぶれが次々と参画を表明していったのです。
『メリー・クリスマス・ショー』の制作において、もう一人忘れてはならない決定的なキーマンが存在します。それが、日本のポップス界の至宝・山下達郎氏です。
山下達郎氏は表舞台での出演やスタッフクレジットに名前を連ねることはありませんでしたが、裏で企画ブレーン・音楽アドバイザーとして深く関与していました。
洋楽ポップスやR&B、ロックの歴史に膨大な造詣を持つ山下氏の助言やアイデアは、番組の目玉となる「洋楽×邦楽マッシュアップ」の選曲や構成に多大な影響を与えました。桑田佳祐という天衣無縫の天才と、山下達郎という緻密な音楽的知識を持つ職人。日本の音楽界が誇る二大巨頭の知恵が融合したからこそ、単なるパロディにとどまらない極上の音楽世界が構築されたのです。
番組の演出を担当したのは、のちに『チューボーですよ!』や『出没!アド街ック天国』など数々のヒット番組を手掛け、テレビ制作会社「株式会社ハウフルス」の設立者となる演出家・菅原正豊氏(当時は制作会社「フルハウス」)。
菅原氏と桑田佳祐氏の共通のテーマは、「従来の型にはまった歌番組の枠組みを破壊すること」でした。
当時のテレビ制作の常識では考えられないような斬新で過激なアングル、ストーリー性のある演出、演劇的な仕掛けを次々と導入。生放送ならではのスリリングな緊張感と、ライブハウスのような臨場感をブラウン管に再現するため、スタッフとアーティストが一丸となって極限の試行錯誤が繰り返されました。
菅原演出とアーティストたちの情熱が暴走したエピソードには事欠きません。
松任谷由実(ユーミン)の出演シーンの打ち合わせでは、東京都心のメインストリートである「国道246号線を全面封鎖し、そこに人工的に雨を降らせて歌う」という壮大すぎるロケーション構想が大真面目に議論されました(※法律や警察の許可関係で実現は不可能となりましたが、そのスケール感こそが番組の精神を象徴していました)。
さらにスタジオ演出では、当時1,000万円以上する最高級のスタインウェイ製グランドピアノをセットに配置し、曲の盛り上がりとともにバケツで盛大に水をかけまくるという常識外れの演出を実行。視覚的な美しさと破壊の美学を追求するあまり、機材やセットに対する費用は天井知らずで跳ね上がっていきました。
美術セットにおいても一切の妥協はありませんでした。通常は正面から撮影する豪華なセットを、桑田氏と菅原氏の「裏側の方が構造的にかっこいいから、セットをひっくり返して裏側をバックにして歌おう」というアイデアによって、あえて裏返しにして使用。莫大な費用をかけて作られた装飾が一瞬で無駄になるような贅沢な演出が次々と採用されました。
また、生放送のクライマックスやコント仕立てのシーンでは、本物の高級食器や皿を何百枚と粉砕するダイナミックな演出を連発。
制作予算を完全に無視して美学とエンターテインメントを追求し続けた結果、日本テレビから支払われる番組制作費を遥かにオーバーし、最終的に5,000万円を超える未曾有の大赤字を叩き出すことになりました。
当時の5,000万円は、小さな制作会社にとっては即座に倒産を意味する膨大な金額です。制作会社フルハウスは経営破綻寸前の危機に追い込まれ、支払いや資金繰りのため、一時的に自社の社員を他社へ出向・預かってもらうという異例の事態にまで発展しました。
しかし、この狂気とも言える情熱と巨額の赤字を背負ってまで作り上げた圧倒的なクオリティこそが、『メリー・クリスマス・ショー』を伝説たらしめ、のちにハウフルスという偉大な制作会社へと飛躍する原動力となったのです。
『メリー・クリスマス・ショー』の真骨頂であり、日本の音楽史における奇跡と言えるのが、「日本のムード歌謡・昭和歌謡」×「洋楽王道ロック・ポップス」を融合させた「神マッシュアップ」の数々です。単なる替え歌やコントの領域を超え、高度な音楽的理論とリスペクトによって構築された名アレンジの数々を深く検証します。
1986年の番組ハイライトの一つが、KUWATA BANDとBOØWYという、当時のロックシーンを牽引していた二大バンドによるスペシャルユニット「ロッケストラ」でした。
ビートルズの『HELP!』や『She Loves You』を、布袋寅泰氏の鋭角でソリッドなギターカッティングと、桑田佳祐氏・氷室京介氏のツインボーカルでパワフルにドライブしていく演奏は、テレビの枠を超えた「本物のロックショウ」そのものであり、全国のロックキッズたちを熱狂の渦に巻き込みました。
Kissin’ Christmas ~クリスマスだからじゃない~
番組のグランドフィナーレを飾るために書き下ろされたテーマソングが、名曲『Kissin’ Christmas (クリスマスだからじゃない)』です。
1985年にアメリカで結成されたUSAフォー・アフリカの『We Are The World』や、イギリスのバンド・エイド『Do They Know It’s Christmas?』への日本からの回答とも言えるこの楽曲。ユーミンによる切なくも温かい歌詞と、桑田佳祐氏によるキャッチーで胸を打つメロディラインが見事に融合した、日本のポップス史に残るクリスマス・アンセムです。
番組のラストでは、出演したすべてのミュージシャンがステージ上に並び、マイクをリレーしながらこの曲を合唱しました。
この楽曲は制作当時、「この番組の一夜限りの夢として残すため、絶対にレコード化(音源化)しない」というアーティスト同士の強い約束が交わされていました。そのため、番組放送後は音源を入手する手段が一切なく、ファンの間では「伝説の幻の名曲」として語り継がれることになったのです。
しかし、ファンの熱い要望と「名曲を後世に残したい」という想いから、制作から26年の時を経た2012年、桑田佳祐氏のベストアルバム『I LOVE YOU -now & forever-』に、桑田氏のソロ音源として初めて公式CD収録が実現しました。
1986年12月24日
番組『Merry X’mas Show』のエンディングで初披露。
「絶対にレコード化・音源化しない」約束のもと、幻の名曲となる。
1987年12月24日
第2回『Merry X’mas Show』にて2年連続でエンディング合唱。
2007年12月
フジテレビ系『さんタク』にて、明石家さんまの目の前で木村拓哉がアコースティックギターで弾き語りを披露。
2012年7月18日
桑田佳祐ソロベストアルバム『I LOVE YOU -now & forever-』に桑田ソロ名義で初の公式音源化・CD初収録。
2018年12月31日
『第69回NHK紅白歌合戦』のグランドフィナーレ(特別企画)にて、桑田佳祐(サザンオールスターズ)と松任谷由実が31年ぶりに同じステージで共演。
『勝手にシンドバッド』の演奏中、ユーミンが桑田氏の頬にキスをし、日本中が大狂喜する歴史的瞬間が訪れる。
2023年11月27日
番組制作から37年目にして、初の「桑田佳祐&松任谷由実」デュエット名義による新録音源
『Kissin' Christmas (クリスマスだからじゃない) 2023』が配信&CDリリース。
二人のボーカルが時を超えて重なり合う奇跡のデュエット音源として結実する。 『メリー・クリスマス・ショー』がこれほどの名作でありながら、一度も地上波・BS・CSで再放送されず、DVDやBlu-rayなどの映像ソフトとしてパッケージ化されない最大の理由は、「著作権および原盤権、肖像権の極めて複雑な権利問題」にあります。
公式な再放送やソフト化が叶わないからこそ、『メリー・クリスマス・ショー』はインターネットやファンの口コミを通じて伝説化していきました。
2000年代以降、YouTubeなどの動画共有サイトに当時のVTRを録画したVHS映像がアップロードされると、当時を知る世代は懐かしさに涙し、リアルタイムを知らない若い世代は「昭和のテレビにはこんなにすさまじい番組があったのか!」と衝撃を受けました。
デジタル配信時代において公式に観ることができないからこそ、語り継ぐ人々によって都市伝説のように記憶が補強されていく「現代の口伝文化」が形成されたのです。
ネットの個人利用が世界的に普及して早20余年。このネットのおかげで2005年に非常にうれしい事がありました。
少年時代に見てアーティストってすごいと感動した番組とその番組内で作られた曲。番組はクリスマスだけの特番でその時のみ放送。そしてその時出来上がった曲も最初からレコードやCDとして売り出されることはしない曲、まさに幻のそして伝説の番組と曲でした。
上京してきて、「サザンオールスターズ」ファンだという人に必ず質問していたのが、この番組と曲についてです。ですが、誰一人記憶のある人にあたらず、全く明確な答えを得る事が出来ずにいました。
それが、2000年くらいからネット検索をし始め、ついに2005年に動画サイトでアップロードされた動画を発見する事になるのです。20年もの歳月のモヤモヤともう一度「あの曲」を聞きたいという思いがインターネットによって果たされたのです。
コンプライアンスの遵守、コンプライアンス予算の削減、細分化されたターゲット層など、現代のテレビ局を取り巻く環境は1980年代とは大きく異なります。
5,000万円の赤字を出してまでセットを破壊し、スタジオに水を撒き、レコード会社の壁を打ち破ってトップスターが一堂に会する——そんな大らかな狂気と圧倒的な情熱に満ちた番組は、バブル前夜という時代の空気感と、桑田佳祐・吉川晃司・菅原正豊ら「本気でテレビと音楽を変えようとした男たち」の熱量が奇跡的に合致したからこそ成立した、昭和テレビ黄金期の不可逆な遺産なのです。
1986年、1987年の雪の夜。ブラウン管から溢れ出ていたのは、単なるノスタルジーではありません。そこにあったのは、型にはまることを拒み、大真面目に音楽を面白がり、テレビというメディアの可能性を極限まで押し広げようとした表現者たちの純粋な情熱でした。
『メリー・クリスマス・ショー』が残した熱気は、30年以上が経過した今もなお、私たちの心の中で消えることなく燃え続けています。
カラオケの部屋で仲間と集まり、『Kissin’ Christmas』をみんなで肩を組んで歌うとき。あるいは、冬の静かな夜にひとりヘッドフォンをかけ、あの奇跡のデュエットに耳を澄ませるとき——私たちはいつでも、あの1986年の雪の夜の熱狂の当事者に戻ることができます。
「音楽が世界を色鮮やかに彩り、テレビが夢と衝動を見せてくれた時代」。その情熱のバトンを受け取った私たちは、今日もまた、新しい音楽と感動に出会うために、静かに幕が上がるのを待っています。
2005年に見つけた時の感動を別のブログに書いたことがありましたが、その時は番組をぶつ切りにした動画で全部は見れなかったです。
それでも、うれしくてうれしくて、涙が出るほどでした。(コレ、マジだから自分的にもビックリ!)
さて、この曲は実はカラオケにあったりするんです!!マイク回しながらみんなで歌ったりしたら楽しいでしょうね!!
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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