今のファンタジー作品に大きな影響を与えている偉大なファンタジー!
独創的な世界観とその主題歌が大好きです!
今回は1作目のみの紹介となります。
完全な電八の好みで1作目は大好きなのですが、第2章、第3章があまり好きではないんですよね~。
是非ご覧になってください。
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※注意:この記事にはネタバレが多分に含まれています。作品をご覧になっていない方にはオススメできません。
1984年公開、ドイツ、アメリカの合作。ウォルフガング・ペーターゼン監督のファンタジー作品。
『モモ』で有名なミヒャエル・エンデの小説『はてしない物語』の映画化作品。
特殊効果を使い、空想上のファンタジー世界をしっかり表現した作品。
イジメっ子から逃れた少年が学校の天井裏で「ネバーエンディング・ストーリー」という不思議な本を通して、幻想的な世界“ファンタージェン”を見いだす物語。本は若き戦士アトレーユが“ファルコン”という名の幸運を呼ぶ竜の助けで、ファンタージェンを“無”による崩壊から救う物語だった。
Filmarksより引用
この物語で印象的なのが本とメダルです。
物語の中の物語を表すために、バスチアンは本を読みます。
つまり世界を飛び超えるためのアイテムが本という訳です。
そして、バスチアンの勇気の化身ともいうべき勇者アトレーユはメダルの形をした「アウリン」お守りとして与えられます。
「アウリン」は力の象徴なんですが、2匹の蛇が互いの尾を食い合う姿を模しています。
これは「ウロボロス」であり「死と再生」を表すものです。
しかもそれが無限大を表す「∞」の形を幾重にも重ねています。
これも「はてしない物語」を象徴しているわけです。
バスチアンの読んでいる「THE NEVERENDING STORY」の表紙にも同じものがあります。
何のための力なのかと言えば、
バスチアンとアトレーユを出会うように運命づけて、
幼心の君の元へと導き、
バスチアンが願いを叶える力を得るためのものであり、
読者や映画の視聴者である私たちに、「思い出」、つまり「記憶」というのはかけがえのないものなのだと理解させるための力なのです。
自分が自分となるための軌跡であり、家族の愛情の結晶が「記憶」なのだと気づかせるための世界を飛び超える「小さな奇蹟」なんですね。
登場するメインのキャラクターは10代前半の美しさが際立つ描かれ方をしています。
「純粋さ」を際立たせるために10代前半の子供を主人公バスチアン、勇者アトレーユ、幼心の君の3人に起用しています。
美しく、純粋で、真っ直ぐな表情が非常に美しいです。
岩の巨人ロックバイター。岩を食べる岩の巨人で、奥さんも岩、子供も岩、バイクも岩。
モウラ。何万年もの長い時間生きてきた大亀。顔を出さない時は山みたいで、コウラ山と呼ばれている。若い子に出会うとアレルギーでくしゃみがでる。アトレーユは吹き飛ばされそうになる。
グモルク。「虚無」に命じられて「虚無」を破壊できる唯一の勇者アトレーユを突け狙う人狼。
エンギブックとウグル夫婦。小人で旦那のエンギブックは南のお告げ処を研究している。いわゆる錬金術師のような存在。
ナイト・ボブとコウモリ。ナイトボブはチビ鬼。コウモリはいつも眠い。飛びながら眠ってしまう。
ファルコン。幸運を呼ぶドラゴン。アトレーユやバスチアンをのせて飛ぶ。呼べばどこからでも現れ、どこにでも連れていってくれます。
他にも、大きなカタツムリや多面族などファンタ―ジェンの不思議でいろんな住人達がいます。
ファンタ―ジェンを蝕む「虚無」とはなにか?
現代人があきらめと怠惰に蝕まれると夢を見なくなります。
ファンタ―ジェンは人々の夢からエネルギーを得て世界が構築されています。
しかし、人々は夢を見なくなります。
生活に追われ、大事なものを忘れ、夢見ることを忘れてしまいます。
夢のあった場所には「虚無」のみが残ります。
つまりファンタ―ジェンを「虚無」が飲み込み破壊してしまうのです。
バスチアンは頭はいいのだけど、いじめっ子に立ち向かう勇気を持てないでいます。
現代人みんなが勇気を失い夢を見ることが出来ずにいる象徴なんです。
ファンタ―ジェンにはアトレーユがいます。彼はバスチアンの勇気を持ちたいという願望がかたちをなしたかのような勇者です。
バスチアンは彼を応援することで、いつしか自分もファンタ―ジェンを救う英雄へと成長していくのです。
だから「虚無」はアトレーユを亡き者にしようとします。
導き手である「幼心の君」に直接が手が出せないのは、夢で出来ている存在ではないからなのだと思います。
石のバイク!爆笑しました!!
沼にはまり込むのには二つの意味があります。
実際に沼にはまり、危機を迎えるというのと、「虚無」という沼に飲み込まれて蝕まれてしまうこと。
現代人は「虚無」という沼にはまり、夢を見る力を飲み込まれ、蝕まれることで自由を奪われていることを表しています。
単純に「無」と訳されていたこともありましたが、電八的には「虚無」の方がしっくり来るなぁと思います。
夢や想像の産物であるファンタ―ジェンやその世界の住人達は「虚無」に飲み込まれて消えてしまいます。
しかし、幼心の君は消えずにバスチアンの前に存在し続けました。
これはなぜなのかというと、「幼心の君」は人々の心のうちに存在する良心の象徴だからなのだと思います。
想像の産物とは別の扱いであるし、だからファンタ―ジェンの最後の欠片を、良心を取り戻し勇気を持ち始めたバスチアンに託すことにしたのでしょう。
この時、観ている私たちもバスチアンに「ようし、任せたバスチアン!!頼むぞ――!」って思って、ファンタ―ジェンの復活を願います。
その願いは美しい映像ともに叶えられるわけです!
実は映画では描かれていない部分があります。
そのおかげで原作者のミヒャエル・エンデから厳しく批判されてしまいます。
(裁判沙汰にまでなってしまいます。)
映画で描かれていない部分をざっくりと見てみると、以下のようになります。
ファンタ―ジェンを救ったバスチアン。ファンタ―ジェンの住人たちに称賛され救世主扱いに。
しかし「願いをかなえるたびに自身の記憶がひとつひとつ失われる」ことが発覚します。
そこで「願いを叶える度に、その願いを叶える前の自分の記憶を忘れる」から、「数少ない記憶を使って、本来願うべきことを見つけ出す」ように物語の構造が変わっていきます。
ファンタ—ジェンで並ぶもののないヒーローになったバスチアンですが、少しずつ全てを失っていくわけです。
そして、「ヨルのミンロウド」へとたどり着きます。
ミンロウドは「人々の記憶の採掘場」のことです。ヨルはその採掘場で途方もない時間、人々が夢から覚める時に失ってしまった記憶を掘り出し続けてきた坑夫です。
ヨルの指導を受けて、深く暗い坑内でただひたすら記憶を掘り続け、自分のコンプレックスも、ファンタ—ジェンの救い主だったことも、彼にとっては遠い過去のことになっていきます。
ひたすら静かに絵を掘り続け、とうとうバスチアンは、1枚の絵を掘り当てます。
絵を胸に旅立とうとするバスチアンに、ヨルは
「おまえはいい坑夫見習いだった。」ヨルはひそやかにいった。
「よくやった。」
おそらく、バスチアンはこの一言でとても救われたに違いありません。
物語を読んで、一緒に苦悩してきた読者にもヨルのこの一言が深く染みたはずです。
この後も少し物語は続くのですが、それは皆さんが実際に読んでいただくとよいと思います。
ここまで読んでいただくと、もうお分かりだと思いますが、この物語の構造は
本を読む、または映画を観る自分
↓
その本の中で本を読むバスチアン
↓
本の中の世界ファンタ―ジェン
↓
幼心の君=内なる良心
↓
内なる良心に気付かされ心を動かされる自分
メタ構造が一周して自分に戻ってくる形になっています。
これが本当の「はてしない物語」そのものの形なんです。
だからこそ、描かれなかった部分が実はもっとも重要だったのです。
ファンタ―ジェンの欠片を幼心の君に渡されて、願い事をするバスチアン。
バスチアンは念願のファルコンに乗って空を飛ぶことを願い叶えます。
美しく壮観な景色に大喜びのバスチアン。
ここまでは夢が叶うって素晴らしいシーンです。
しかし。。。
その際に、現実世界のいじめっ子たちをファルコンで追い掛け回して脅かします。
しかもセリフが「どんなもんだ 弱虫ども!」って叫んでいます。
まさに「虎の威を借る狐」で、ファルコンがいなければそんなこと全くもって考えられなかったでしょう。
ここが、批判の元になっています。
この描写は必要なかったように思います。単純に夢を叶えてファルコンの背で景色に圧倒されて大喜びのバスチアンで良かったですよね。
そしてアトレーユと遭わせてあげればよかったのじゃないかと思います。
大好きな映画なのですが、ここだけ違和感を感じてしまいます。
映画の第2章では以上の「願いをかなえると、思い出が失われる」という設定を使っているのですが、原作とはやはり展開が違っています。
「アトレーユの命を救うために最後の思い出を使って願いをかなえるのか!?」っていうのが最大の山場です。
しかも批評家などから厳しい評価を受けています。
自分の好き嫌いに関してはそこではないんです。
第2章は1作目のキャストを起用しているんですが、成長していてイメージにギャップと違和感が出てしまっているんです。
しかも原作を踏襲しているとはいえ、オリジナルストーリーになっていてなんか「ちょい噛み」感で製作された感じが拭えないんです。
第3章については、ん~~~。
好きな方には大変申し訳ないのですが、ビジュアルのあまりの変わり様に敢えて「ネバーエンディング・ストーリー」である必要があったのか?と気になってしまって仕方なくなっていまいます。
いくらなんでもファルコンが・・・(T_T)/~~~
この曲の歌詞は「ネバーエンディング・ストーリー」の世界の一部でもあります。
以下は、歌詞の意訳です。
『The NeverEnding Story』
作詞:キース・フォーシイ(Keith Forsey)
作曲:ジョルジオ・モロダー(Giorgio Moroder)
Turn around
Look at what you see
In her face
The mirror of your dreams
振り返って
目に映るものを見てごらん
彼女の顔は
君の夢を映し出す鏡
Make believe I'm everywhere I'm hidden in the lines Written on the pages Is the answer to a never ending story
信じて 僕はどこにでも居る
文章の行間に隠れてる
そのページに記された
はてしない物語への答え
Reach the stars Fly a fantasy Dream a dream And what you see will be
星に届け
ファンタジー世界を飛び回れ
夢を描け
そして、目の当たりにするのさ
Rhymes that keep their secrets Will unfold behind the clouds And there upon a rainbow Is the answer to a never ending story Story
謎めいた詩が
雲の向こうで解き明かされる
虹の上にあるのは
終わりのない物語への答え
Show no fear For she may fade away In your hand The birth of a new day
恐れないで
彼女が消えてしまうかもと
君の手の中には
新たな日が生まれているから
Rhymes that keep their secrets Will unfold behind the clouds And there upon a rainbow Is the answer to a never ending story
謎めいた詩が
雲の向こうで解き明かされる
虹の上にあるのは
はてしない物語への答え
まとめると”本を開いた、そのページの中に隠された「はてしない物語」への答えを探しに行こう!”という歌詞なんですね。
劇中の「THE NEVERENDING STORY」という本と同じで「はてしない物語」への呼び水になっています。
作品を象徴する曲であるために、本編で流れる時には「はてしない物語」を表すために「始まりも、終わりもない」ようにフェードインで入り、フェードアウトしていくように演出されています。
こんなところにもこだわりがあるんですね~。
素晴らしいカバーがありました。
E-girlsによる「THE NEVER ENDING STORY ~君に秘密を教えよう~」
E-girlsのメンバーがそれぞれの「幼心の君」になって、「夢見ることをあきらめないで」と元気づけてくれます。
この人の解説聴くと、「なんて楽しそうな映画なんだろ。見てみたい!」ってなりますよね。
しかも重要なこと、「人間はもっと心を持たないといけない、人間は虚無になったらいけない、人間はドライになってはいけない・・・・」とかテーマの芯を食った一言をサクッと言ってくれます。
でも、ネタバレせずにうま~く世界に引き込むように語りかけています。
自分もこんな風に語れたらなと思います。
「ネバーエンディング・ストーリー」をすぐにご覧になられたい方は以下のリンクからどうぞ。
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最後まで読んでいただきありがとうございます。今回の記事は以上となります。
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