もともと、SF・アクション・ホラーが好きでそれ以外のジャンルのものにはあまり興味がありませんでした。
そんな自分が人間ドラマを中心にすえた映画に興味を抱くようになった作品が「グラン・ブルー」です。
もともと、学生の頃に両親が「ニキータ」をレンタルビデオで借りて鑑賞した記憶が残っていて、同じ監督がとった映画だという事で驚いたのがきっかけでした。
※この記事にはネタバレが含まれます。ご注意ください。
1988年、フランスとイタリア合作で製作された作品。リュック・ベッソン監督。
フリーダイビング(潜った深さを競う競技)の選手の友情や軋轢、海に魅かれてしまった男を愛してしまった女性の葛藤などを描く海洋ロマン作品。
主人公とその友人のふたりのフリーダイバーはモデルになった実在の人物をモチーフにしている。
また、エンゾ役を演じたジャン・レノの出世作。
フリーダイビングの選手エンゾは長年、幼馴染のジャックを探していた。
保険調査員のジョアンナはアンデス山脈の高地を調査で訪れた。そこで氷の湖に酸素ボンベもなしに素潜りするジャックと出会う。
シチリアのタオルミーナで開催されるフリーダイビングの大会。
そこでジャックとエンゾは再開、ジャックを追ってきていたジョアンナとも合流する。
「海」と彼らの間に生まれる運命は激しさを増していく・・・。
フリーダイビングの選手なのは共通。
明るい性格でけっして寡黙な方ではなかったというのは映画とは違う点。
しかし2001年に自殺して無くなっています。
死の真相はいまでも謎のままです。
また、ジャン・レノが演じたエンゾ・モリナーリは実際のジャック・マイヨールの友人エンゾ・マイオルカだと言われています。
彼は作品公開時には存命していて同年に101mの記録を残している。
今作には「エンゾは悪く描かれている」とあまりいい印象をもっていないとインタビューで語ったことがあるそうです。
映像において、モノクロ映像というのは「古さ」や「昔の記憶」を想起させます。
冒頭では、ジャックやエンゾたちが少年だった頃が描かれます。
ジャックの父親が亡くなるシーンも描かれます。
これらはモノクロにすることで説明なしで過去の記憶であることを印象付けます。
絵作りだけでジャックとエンゾの生い立ちを短時間で見せています。
またモノクロ以外だとセピアカラーや「夕刻」の色合いを使う手法もあります。
「ニキータ」にも出演していたジャン・レノですが、今作で準主演での抜擢。
しかし、強烈なキャラクターのイメージでこの映画で一番印象に残ったのはジャン・レノでした。
結果的にこの後、リュック・ベッソン監督作品だけに留まらず数多くの作品で起用されるようになりました。
エンゾが乗ってくるボロボロの自動車はFiat500という車種です。
エンゾの巨体や豪快な性格のイメージに反した、小さくて真ん丸な自動車が非常に印象的です。
そしてこの車種は「ルパン三世 カリオストロの城」でルパンと次元が乗っていたのと同じ車種です。
エンゾはがき大将で大人になってからもみんなをまとめるリーダーでもあります。
身体も大きく豪快で頼りがいのある男ですが、ただひとり逆らえない人物がママン(母親)です。
そしてママンの得意料理はパスタです。
もうお腹いっぱいと訴えても「何を言うの?もっと食べなさい」と山盛りパスタがドンっと目の前に置かれます。
今作では2種類のパスタが出てきます。
この映画以降、ファミレスなどでも海鮮をつかったメニューに「海の幸の〇〇」なんて名付けたメニューが増えました。
例:ファミリーレストラン デニーズの海の幸のドリア(現在は存在しない)
以上の記事でママンのパスタをチーズたっぷりのパスタだと思っていたことを書いたのですが、どうやら勘違いだったようです。
原因を考えてみたのですが、恐らくレンタルビデオで観たので、今に比べると画質の非常に荒い映像を見ています。
なにやら、チーズの粉末がたっぷりかかっているように見えていたのだと思います。
まあ、これはこれで美味しいのでよろしければお試しあれ。
リュック・ベッソンはいろんな海の表情を生き生きと描きます。
かれは元ダイバーであったので、海の魅力を知り尽くしていました。
そして怖さも知っています。
引き込まれそうになる美しさは死への呼びかけそのものなのかもしれません。
映画では「死」はしばしば甘美なものとして描かれます。
月の光が反射して輝き波に揺れる水面をイルカがジャンプするシーンはえも言われないほど幻想的で美しい映像です。
地上世界には決してない静寂と輝きの美しい世界に引き込まれます。
海に魅かれてしまうジャックの気持ちが少し理解できる気がします。
ジャックにとって海はふたつの意味を持ちます。
ひとつは潜水士の浸水事故で亡くなった父親が旅立った先に通じる道。
ふたつめは人づきあいなどの煩わしさが一切ない、母親のように包み込んでくれる大いなる存在です。
ジャックは早くに母親を亡くしていて、母親の顔も知りません。
そのうえで唯一の家族の父親も少年時に失っています。
その後本当に心を開けるのは純粋な存在のイルカだけでした。
つまり海は心を開けるイルカという家族の住む安住の地でもあります。
ジャックにとっては人間社会に触れていることは、ひどい孤独に襲われ、苦痛でしかないわけなのです。
海は自分が唯一甘えられ、素のままでいられる場所なんですね。
ラスト、ジャックは海に帰っていく訳ですが、これって亡くなった父親に会うためでもあり、安住の地で過ごすためでもあり、無意識に求めてやまない母親を感じるためです。
海は母親の隠喩であり、イルカは純粋な知性を表しています。
海の青さ、明るい鮮やかな青から、闇色への中間の濃い青は母親の子宮の入り口を意味します。
子宮内は光が届かない闇色ですから。
海の最深部は母親の最深部、つまり子宮の中なんですよね。
つまりラストは自分の人生の始まり、子宮に帰っていくシーンなわけです。
エンゾはジャックの幼馴染ということで、海の中の景色をジャックと共有します。
そうすることでジャックを理解できる唯一の存在になっています。
フリーダイビングという競技が二人の共通項でなかったら、もっと楽だったのかもしれません。
人間には限界の深さに潜ってしまったジャック。彼の見た景色を共有し彼を理解するためにエンゾは命がけで挑みます。
そして、エンゾはジャックが海に引き込まれてしまった理由も理解します。
最後に意識を取り戻したエンゾがジャックに海に沈めてほしいと頼むのはそのためなんですね。
ジャックはエンゾが何を理解したのか、どうしてそんなことを頼むのかが分かってしまいます。
自分が常に感じていることだから。
だからエンゾを海底に葬ります。
「海」に取り憑かれ、海底深くに引き寄せられてしまうジャック。
お互いにベッドで愛を交わすも知らないうちにジャックは海へ。
心を開くのはイルカと幼馴染のエンゾだけ。
ジョアンナは妊娠したこともあり、全霊の愛情をもって振り向いてもらおうと必死になります。
しかしジャックは見向きもしてくれません。
エンゾにも海にもまったく勝てません。
最終的にジョアンナは空の青を超えた蒼の世界「海」にジャックを奪われてしまいます。
ジャックに対するジョアンナの役割は恐らく、人間社会とのつながりだったのだと思います。
ジャックは海にいてイルカを家族に暮らしたい、というか海にいられないのは苦痛で、結局人間社会(陸)にいるための理由を見つけることが出来なかったという事です。
ジャックはエンゾを海底に葬ったあと、倒れてしまい病床で海の幻覚にうなされます。
そんな苦痛から解き放ってあげることしかジョアンナにはできなかったのでしょう。
そして「Go. Go and see my love.(いってらっしゃい。私の愛を見に)」といいます。
どんなに悲しくて張り裂けそうでもジャックが望むものを自分も望むという事が、自分の愛情を示すためのたったひとつの方法だったのです。
ジョアンナは最大級の愛情を最後に見せたわけです。
上記にも挙げたのですが、主人公ジャック、親友エンゾのふたりは海に帰ってしまいます。
一言でいえば自殺してしまいます。
ジョアンナはジャックの子を妊娠しているのにもかかわらずです。
ジョアンナが海に最愛の人とその親友を奪われてしまうという物語なんですよね。
全体的にフランス映画なので割と淡々と描かれるせいか、映像の美しさしか記憶に残らないのですが、けっこう悲惨でショッキングなストーリーです。
この記事でわかることは
以上です。