今回、ご紹介する映画は電八的にとても好きで何度も見直したくなる映画です。
なんだか、いつまでも印象に残る映画。
居心地のよいやさしい景色と人々、そしてノスタルジックな雰囲気と不思議な少女。
日本人ならではの感性に訴えかけるような感じがたまらなく好きな作品です。
大林宣彦監督の「尾道三部作」3作品目「さびしんぼう」。
※注意:この記事にはネタバレが多分に含まれています。作品をご覧になっていない方にはオススメできません。
1985年公開、大林宣彦監督のノスタルジックな恋愛ファンタジー作品。
出演は尾美としのり、富田靖子ら。
「転校生」で主演だった小林聡美も出演している。
エンディングテーマはショパンの「別れの曲」に歌詞を付けた「さびしんぼう」を富田靖子が歌っています。
ヒロキは趣味のカメラのファインダー越しに隣りの女子高を眺めていると、音楽室でピアノを弾く美少女を発見する。ヒロキはとりあえず彼女を「さびしんぼう」と呼ぶことにした。
自宅である寺の本堂を友人と掃除していると、突然顔が白塗りで白いオーヴァーオールの不思議な少女が現れる。
彼女は自分のことを「さびしんぼう」と名乗り、またどこかへと消えてしまう。
ヒロキは憧れの君の女子高生の「さびしんぼう」と自転車の故障を修理することで知り合う。
彼女は名を橘百合子という。
ふたりの「さびしんぼう」の間でヒロキの心は揺れ動く。
尾道を舞台にした大林亘彦監督の代表的なファンタジー作品3作を「尾道三部作」と言います。
共通点としては、
大林亘彦監督は今作を撮れば三部作になると意識はしていたそうですが、この「尾道三部作」という呼称は実はファンから自然と呼ばれるようになったのだそうです。
実は「さびしんぼう」以外の2作品は、リメイクがあります。
特に「時をかける少女」は複数あり人気が高いです。
実は「さびしんぼう」にはリメイク作品がないんですよね。
自分はこの「さびしんぼう」が一番好きな作品なんですが、意外と人気ないんですかね。
富田靖子はもともと、新人を起用して輝かせることを得意とした大林宣彦がプロヂュースしていた「アイコ16歳」でデビューしました。
そして今作で監督からのオファーを受けて出演が決定したそう。
不思議とテレビドラマではいまひとつ目が出ず、この後次々と映画で実績をつんでいきます。
映画ではふたりのさびしんぼうを富田靖子が両方演じています。
ひとりはヒロキがあこがれるマドンナ的な女子高生・橘百合子(たちばなゆりこ)。
もうひとりは突然ヒロキの前に現れた白塗りの不思議な女の子。
この不思議な女の子の「さびしんぼう」にはモチーフというか原作があります。
それが「なんだかへんて子」という物語。
神出鬼没の「へんて子」が主人公の小学4年生の井上ヒロキと起こすドタバタ劇。
この物語をモチーフにせつなくてノスタルジックな恋愛ファンタジーに仕上げています。
劇中では母親の写真束をバラバラに撒いてしまったことで「さびしんぼう」が現れます。
実は母親が文化祭で「さびしんぼう」を演じた時に撮った写真だったんです。
だから、水で像が溶け出してしまうわけです。
なのでさびしんぼうはヒロキに「水にぬれると死んでしまう」と言っています。
作中30分くらいのところでさびしんぼうが、お墓掃除している祖母の目の前を通り過ぎます。だからヒロキが祖母に「今の子だれ?知っている子?」と聞くシーンがあります。
その時に祖母は「タツ子さんです」とヒロキの母親の名前を言うんです。
間違いじゃなかったんですね~。
大林亘彦監督が大好きだった曲がショパンの「別れの曲」だったそうです。
劇中で、ヒロキが母親にせがまれて弾いていたり、百合子の得意曲でもあります。
そしてエンディングにはアレンジした曲に歌詞を付けたものを富田靖子が歌っています。
作詞:売野雅勇
作曲:Frederic Chopin
編曲:瀬尾一三
歌:富田靖子
百合子はチョコレートと一緒に置手紙をして一方的にヒロキに別れを告げます。
ヒロキに対してけっして悪い印象をもっているようには描かれていません。
何か無礼でひどいことをヒロキがしたわけでもありません。
ではなぜ百合子は別れを告げたのかが非常に疑問に思ってしまったのですが、もう一度よく見返してみると恐らくの原因が分かります。
ヒロキがピアノのオルゴールを渡しに再度、百合子に会いに行った時。
着物姿の百合子は魚屋から魚を買っているのですが、主人に呼び止められてなにやら封筒を渡されます。
そして父親の病の具合はどうかと問われます。
つまり母は亡くなり父親は病で臥せっていて、しかも普段着は母の形見の着物を着ている。
非常に貧乏であることが分かります。
百合子は大きな寺の御曹司で両親も元気で、何不自由のないヒロキに引け目を感じてしまったわけです。
だから「一晩中ニコニコしていた」のに「これっきりにしてください」なわけで、「好きになってくれた、こっちの顔だけ見て、反対側の私は見ないでください」といって去っていったわけです。
もう一歩踏み込んで考えると、親が臥せっている状態でも魚が買えるという事は恐らく百合子が何らかの方法で稼いでいると思われます。
尾道のような地方で若い娘が稼ぐ方法って、そうはないです。
百合子が家に近づけようとさせないことを考えると、身売りをしていることも考えられると思います。
というか恐らく母親がそうだったのでしょう。
真っ赤な打掛けはそれを象徴しているようにも見えます。
知られたくなかったのだと思います。
ラストの雨を全身に浴びて、どんどん溶け出してしまう「さびしんぼう」と悲しむヒロキのシーンがあります。
これがどうにもせつないシーンなんですが、撮影はめちゃくちゃ大変だったようです。
撮影時、冬場でしかもその年でも一番の寒さと言われた時だったそうです。
消防車のホースを使って雨を降らせるわけですが、樹木にかかった水が垂れるうちに凍ってつららになってしまうほどだったそうです。
そんな中、ずぶ濡れになりながらの撮影だったそうです。
演技を続けた二人は本当にすごいです。
「さびしんぼう」の消えてしまう哀しみと苦しみの表情はこの極寒から来ている表情なんでしょうね。
いずれにしても心がキュッとなる名シーンです。
ラストシーンで大人になったヒロキは父の跡を継ぎ住職になります。
そして、「さびしんぼう」そっくりの妻と、二人の間に生まれた娘。
富田靖子は今作中、なんと一人四役をこなしています。
娘はショパンの「別れの曲」をピアノで弾いています。
その顔はやはり「さびしんぼう」そっくり。
そして娘が弾いているピアノの上にそっと置かれているのは、ヒロキが百合子にクリスマスプレゼントとしてあげたピアノの形をしたオルゴールと同じもの。
つまり、大人になったヒロキと百合子は再会を果たし、めでたく結ばれたのでしょう。
これはヒロキの父親の発言が大きいと思います。
「好きになれ、とことん好きになれ」そして「きっと母さんの昔の素敵な思い出があるんだろう。父さんはその思い出も大切にしてあげたい。」
父親のこの言葉で兎にも角にもヒロキは腹をくくります。その結果、再会して結ばれるのだと思います。
そして娘は母・百合子が果たせなかったピアニストになる夢を、自宅にあるピアノを思う存分弾いて実現させようとしています。
ぶっちゃけ言いますと大好きな映画です。
邦画の中では5本の指に入る名作だと思っています。
冒頭のヒロキは今現在だったら、ストーカーに近い感覚のことをしていますが、これをサラッと描いています。
隣の女子高をカメラのファインダーでのぞき見している訳ですからねー。
引っ込み思案で、もてない男の願望的な映像だと思ってもらえればいいのかなと。
白塗り・オーバーオールの不思議でへんてこな少女「さびしんぼう」が本当になんとも魅力的に見えるんですよね。
これは恐らくなんですが、ミステリアスな女性=母性豊かな(受け入れてくれる)女性という事で魅力的に映るからなのかと思います。
なんとも印象的で記憶に残る描かれ方だと思います。
逆にマドンナの百合子は同じ富田靖子が演じているのに、ほとんど記憶に残っていません。
しかし見直してみると、すごいいい演技しています。
母性の象徴のさびしんぼうも、マドンナのさびしんぼうも同じ富田靖子が演じているのは双方が男の子にとって、切っても切り離せないものだからなのかもしれません。
そしてこの映画で何気に存在感が大きいのがヒロキの母親役の藤田弓子でしょう。
「勉強しなさい!」のうるさい母親も、息子と仲良く話す母親も、「男の子はみんな母親に恋しているものよ」と笑顔でサラッと恥ずかしげもなく言っちゃう母親も、うま~く演じています。
昔、観たっきりで最近(少なくとも15年以上)は見ていないのですが、「よい映画」という記憶で思い返されます。
ひとがひとを
恋うるとき、
ひとは誰でも
さびしんぼうになる――
©東宝/さびしんぼう
尾道では「さびしんぼう」による観光流入を見込んで、「さびしんぼう」関連の売り出しを決行していました。
プロップスというほどではありませんでしたが、作中に登場するピアノ型のオルゴールを復刻した商品が土産物として販売されていたそうです。
しかし、2022年現在では生産は完了しているようです。
というかさすがに何十年も経って、「さびしんぼう」を知っている人が尾道を訪れるというケースも少なくなっているのでしょう。
ちなみにメルカリで中古品などないかと見てみたところ、50000円という値段で販売されているのを発見しました。
シナリオブックや写真冊子がついています。
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