2021年12/17(金)より公開開始となった「マトリックス レザレクションズ」を観に行ってきました。
自分としては非常に面白かったと絶賛しています。
ただ賛否両論が分かれる作品だなと思いました。
これは映像自体はそれほど派手ではないというのと、3部作のセルフパロディシーンなどが数多く、非常にブラックな意味合いのモノもあるんですが意味が分からない人も多いのではないかと思います。
そこら辺も含めて語っていきましょう。
※この記事には多分に作品のネタバレが含まれています。作品をご覧になられていない方にはオススメ出来ません。
まず、この作品は1999年公開「マトリックス」2003年公開「マトリックス リローデッド」「マトリックス レボリューションズ」の続編なのですが、
今は2021年。
1作目からすでに22年を経過しています。
自分はこのシリーズは全てスクリーンで観ました。そして3部作&「アニマトリックス」をDVD購入し何度も何度も観ています。
あれから20年ほどでやっとVR(仮想現実)が一部実現してきています。
好きな人間にとっては重みがより大きいです。しかもここをちゃんと設定に生かして来ているのがうれしいところです。
賛否両論分かれるだろうと言われている部分は、
冒頭にも書きかましたがセルフパロディが非常に多く、しかもほとんどそのままに近い映像もあり、これが分かると「やってくれるな」と笑ってしまうのですが、分からないと「なんか地味だしつまらん」となってしまうのかな。
コアなファン程、面白くなる作りになっていると思います。
ライトなファンだと、「なんか見たいのと違う!」ってなりがちなのでは?と予想します。
この4重構造になっているように見せています。
「3部作で成し遂げたことがゲームだった!」なんていくら記憶を補正されているネオでも違和感を感じざるを得ないでしょう!
実際にウォシャウスキー姉妹は「マトリックス」の続編製作を映画会社ワーナーブラザーズから迫られていたそうです。
しかも脚本家のザック・ペンがウォシャウスキー姉妹抜きで「マトリックス」世界をユニバース化して新たに商売しようとしていたことも知られています。
自分たちの作品を金儲けの道具に使われたり、陰謀論者のプロバガンダに使われたりとつまらないモノ(作中ではゲーム)に貶められ、しかも続編を作らないなら取り上げるとまで言われてしまいます。
作中のトーマス(ネオ)も社長であるスミスに同じことを言われゲーム続編製作をせまられます。これは完全に監督自身の事を表しています。
世界的人気ゲーム「マトリックス」を産み出したゲームクリエイターのトーマスは現実とゲームの世界の境界が曖昧で違和感があるように感じています。
続編を製作する事を社長のスミスに強要され、断るならトーマスなしで製作を開始すると脅されしぶしぶ続編製作を承諾。
時々、職場近くのカフェで見かける女性ティファニーに淡い思いを寄せています。これがトリニティーそっくりなんですが、お互いに会った記憶はありません。
モーフィアスに出会い、赤いカプセルを飲めば真実が分かると言われるが銃撃戦に巻き込まれ混乱してしまいます。
気が付いたトーマスはセラピーを受けつつも違和感に苛まれます。
再び、モーフィアスやバッグスたちに導かれ赤いカプセルを飲み、マトリックスから現実世界に目覚めバッグスたちの船で回収されます。
人類と人類に味方するプログラムたちとの共存により発展した都市アイオへ。
そこにはかつて一緒に戦い、ネオを信じ船を託してくれたナイオビがいました。
あの機械(マシン)たちとの戦いからすでに現実世界では60年の歳月が流れていました。
60年の間には進化するプログラムたちにより、人間を解放することで電力不足になり、機械(マシン)たち同士で戦争になります。これを抑えるための新しいマトリックスが作られます。
ネオとトリニティーの愛情のエネルギーはとても大きいです。触れ合う事によりマトリックス内ではコントロール出来ないほどのエネルギーを生みます。
新マトリックスを支配するアナリストはこれを利用します。
彼らを適度な距離で意識させて丁度よいエネルギーを取り出すためにレザレクションポッドでネオとトリニティーを閉じ込めます。その上で新しいマトリックス内で決して接触せず、といってお互いに意識するくらいの位置関係を持たせるように記憶も生活も青いカプセルでコントロールします。
かつて人類と機械たちの戦争を終わらせ支配からの解放を成しえた救世主ネオとトリニティーの遺体を回収しポッドで蘇生させました。そのまま記憶を操作して新マトリックスに接続。
ネオとトリニティーは青いカプセルとセラピーで記憶や感情を操作し、知らないうちに支配されていたのです。
ネオはトリニティーを助けにいかなければならないと言うがナイオビに止められます。
エグザイル夫婦の子サティが現れて彼らを救い出し、アナリストの支配から解き放つ計画がある事を知らされます。
ただし、トリニティー自身の選択によって結果は変わると言われます。
とにかくトリニティーを救い出すために新マトリックスへ向かいます。
トリニティーは夫と子供たちとの生活を捨てられないと言い去ろうとするが、ギリギリのところで振り返りネオを選びます。
アナリストは街中のモブたちを使い二人を捕えようと追いすがります。
トリニティーが覚醒し空を飛べるようになりふたりは現実世界に脱出。アナリストの手を離れます。
そして新マトリックスのアナリストの元へ再び覚醒したふたりは訪れ、新マトリックスを書き換えると宣言して空へと飛び立っていきました。
映画前半は違和感に苛まれるネオが脱出するまでを描き中盤はトリニティーを救出作戦に入るまでを描き、後半はトリニティーの救出と選択と覚醒を描いています。
1作目の物語をトリニティを中心にやり直したような形になっているんですね~。
「ワーナーブラザーズから続編を創れと迫られる」が実話。毎年迫られ、断ってきていたそうです。しかしそれも限界になって製作したのが本作との事。
これに対してそのまま「やってられない!」し「よくもつまらない金儲けの道具なんかにしてくれたな!」という描写を入れて監督自身を含む隷属化したクリエイターの解放を描いています。
各キャラクターが戦って解放される物語のはずが、いつの間にか至上主義化されてしまっています。「史上最高のゲーム・マトリックス」とか「救世主ネオ至上主義」やファンを含む周囲の人々が戦わない(考えない)思考停止の状態になっている事(金儲け主義に知らずに隷属させられている事)からの解放
人間の偏見や差別などからの解放。「マシンって呼ばないで」とか性別が曖昧な感じでユニセックス的に描かれるキャラクターたち、アナリストの女性蔑視発言や扱いにキレてボコボコにするトリニティーとか偏見や差別に対してのカウンターメッセージが強く、偏見や差別という狭い視野や思考からの解放の賛歌としても描かれています。
ネオとトリニティーの産み出すエネルギーの大きさを利用して造られた新しい「マトリックス」。二人の距離感や関係性を支配する事でエネルギー効率を良くする新しいシステム。
自分の望む人生とは違うものを与えられてるが他より幸せだから満足しろと知らずに取り込まれている事を意味します。
システム化=思考停止化する事からの脱却という事を描いていたのですが、知らずにシステムに組み込まれていたという事に違和感を覚える事が肝心だという意味が込められています。
自分で物事を考える自由を得るためにシステムから解放されなければならないという事です。
もちろんネオとトリニティーの復活の物語なのですが、それ以上にいろんな意味が含まれています。
金儲けの道具としてくだらないモノを盛り込めと強制されるクリエーターとして死んでしまった妹と監督自身。
監督は今回の作品で自分と妹を奴隷化してきたモノたちから脱却、純粋な作品クリエーターとしての復活を強烈にメッセージにしています。
また陰謀論者などに作品をプロバガンダなど非常につまらないモノに利用され貶められてしまった。
つまらないモノに貶められたところからの復活も意味として込めています。
さらに今回の支配者アナリストはトリニティーに対して女性蔑視のセリフを多用します。ラストシーンでネオとトリニティーはそんなアナリストに苦笑しながら世界を書き換えると宣言します。
アナリストのセリフは性差別をなくす運動の象徴の虹色(レインボー)をバカにするセリフで、トリニティーはそれを打破して差別で貶められた尊厳の復活を宣言しています。
実際にいまだに世界に蔓延する差別や階級意識などを鏡として映しています。
実はこの物語における鏡は真実を映す役目があります。
青いカプセルを飲んでいる時のネオは鏡を指でコンコンと叩きます。「コレじゃないという違和感」です。
しかもネオもトリニティーも実は他者からは全く違っている外見で見えているというのも鏡に映して表現されています。
「鏡で見る」という事は「自己を見つめる」事であり、また「違った角度から見る」という事です。
「作中の鏡」と「現実に対する鏡としての作品」という鏡と2重の意味があります。
「マトリックス」シリーズでは「愛」が最強です。
ネオとトリニティーはお互いに愛で何度も助け合います。
ここで描かれる「愛」は信じることです。
他のキャラクターたちもみんな何か(誰か)を信じて戦い助け合います。
老若男女問わず人を愛する事で大きな力を発揮する事が出来ます。
スタッフロールに亡くなった父母と妹へ愛をこめてと入れています。
ジェファーソン・エアプレインの「White Rabbit」
この曲が予告編でも本編でも、非常に印象的に使用されていました。
彼らは1960年代のロック黄金時代から長く活動していたバンドです。サイケデリック文化を象徴する代表的グループとして有名。
ラストにネオとトリニティーはかつてのマトリックス内で能力を完全に覚醒させてアナリストをボコボコにしてから世界を書き換えると言って飛び立っていきます。
これ1作目のラストのオマージュなんですが、今回はトリニティーも一緒です。
という事は続編があってもおかしくない終わり方をしているという事です。
なのでもし続編が作られるなら以下に挙げるところが観てみたいです。
などなど他にもいろいろと続編が観たくなってしまう材料は盛りだくさんです。
マトリックス内でデジャブを見る時は何かバグが起きて修正を加えた時に見えるという設定があります。
これを表すシーンでは1作目と3作目にあるんですが、黒猫が出て来ます。
今回はデジャブという名前でアナリストの飼い猫として登場シーンが増えてます!!
猫好きの方にもオススメです(笑)