みんな、中二病的にいろんなことを考える時期ってありますよね?
自分はその昔、『文化とはムダである』と考えました。そしていまでもその考えは変わらないです。
このことについてはちゃんと整理して記録に残すべきだと考えまして、ここに記事として書いちゃいます。
「文化」という言葉を意識したのは「超時空要塞マクロス」という作品を見たのが原因です。
この作品には男性のみの「ゼントラーディ」と女性のみの「メルトランディ」という戦闘種族が地球人類への敵性種族として登場します。
彼らは男女は全く別の種族であり、気の遠くなるほど長きに渡り、戦うことだけを唯一の生存理由としてきました。
そんな彼らが、巨大宇宙船マクロス内で暮らす人類の姿に驚くわけです。
男女が共に戦闘に全く関係のない営みをしている姿は彼らにとって衝撃だった!というシーンにがあります。
「おお!!プロトカルチャー!!」
実は彼らは地球人類と先祖を同じくする種族で、彼らの先祖が戦争を始めた時に戦闘に特化した種族として調整されて生まれた種族でした。
彼らの先祖の遺伝子に刻まれた本能のようなものが地球人類の生活を見た時に、感じたことのない感覚として呼び覚まされたわけです。
初めて感じる感覚に大いに動揺し困惑するのです。衝撃なんでしょうね。これが本当のカルチャー・ショックというものなのでしょう。
「超時空要塞マクロス」については以下の記事をどうぞ。
これが自分にとっても衝撃で残り続けているのです。
なんてのが出てきます。
これって一言でいうと「最低限生き残るためのものではなくて生活を充実させるもの。」という事だと思います。
「充実」って物理的に豊かなことからは離れて、精神的にとか思想的に豊かという事です。
詳しく知りたい方は以下のサイトをご覧ください。
精神活動や思想とかって生き残るためだけのことを考えたら逆に不必要なことになります。
例えば、場所はどこかのジャングルとしましょう。
自分が3日間も何も食べられず非常に飢えた状態で、今後もまともな食べ物を手に入れることが困難なことが予想される場合に、目の前にかわいらしいイノシシの子供「ウリボー」が現れた時にあなたはどうしますか?
恐らく、この2択で少し悩み、「2」を選ぶ人がほとんどでしょう。
そう、「かわいい」とか「かわいそう」という感情は自分が生き残るためには全くと言っていいほど不要のものです。
そして自然界はそもそも弱肉強食ですべてが回るようになっています。
ただ生き残るという事であれば、感情は重荷になりこそすれ、なんの役にも立たない。
ジャングルの中で素っ裸で、常に飢え、自分よりも力の強い生き物にいつ襲われるかもわからないような状態の中で「かわいい」とか「かわいそう」なんて思わずに生き残るために「殺して食う」を繰り返すことでしょう。
なぜならそれがもっとも自然だから。
しかし、少しでも生活に余裕ができた時、つまり「明日をも知れぬ命」という状態から脱した時に人間は何かに感情移入することが出来るようになります。
「かわいい」、「かわいそう」、「好き」、「嫌い」、「嫉妬」、「怒り」などいろんな感情が芽生えます。
そしてこれこそが他の動物よりも豊かな感情であり、「人間性」と呼ばれるものです。
芸術・美術・音楽・文学・映画・アニメ・マンガ・美食・おしゃれ・インターネット、などの娯楽は人間の感情に作用させるために現在では大量に生産されて日常生活に普通に存在するようになっています。
疑似的に感情に作用させるためのものであり、生存のためだけのものとはかけ離れたものです。
というか生存することだけを考えて「必要なのか?」といえば、ひとつとして必要ではないです。
つまり「なくても生きることはできるが、ないと豊かになれない」。
あくまでも疑似的な感情を喚起させるためのものであるからです。
そしてこれらを人は「文化」と呼びます。
「なくてもよいもの」とは「ムダなもの」であります。
心や感情に作用しても、「お腹いっぱいになる訳でも危険から身を守れるわけでもないもの」=「ムダなもの」=「文化」であると言えます。
そう、「ムダ」こそ「文化」なんです。
つまり「文化」は「ムダ」なもので出来ていることになります。
そして「ムダ」にお金をかけると「贅沢」になります。
さらに「ムダ」なものを受け取らずに捨ててしまうと「もったいない」ことになるわけです。
「宗教」や「伝統」なんかの考え方というのも文化です。
「神」や「ご先祖」は生存のみを考えることから脱して構築された社会のなかで醸成されるからです。