昨年話題になった『デデデデ』を見ました。
何がどう話題になったのか確かめるような見方をしてしまったので、少し偏っているかもしれませんが、解説混じりに語っていきたいと思います。
なかなか珍しい公開のされ方をしている作品なのでそこにも注目したいです。
なお、原作はまだ未読です。
なにか間違っている事もあるかもしれませんが、ご了承くださいませ。
※注意:この記事にはネタバレが多分に含まれています。作品をご覧になっていない方にはオススメできません。
「ビックコミックスピリッツ」(小学館)に連載された浅野いにお原作の同名マンガを前・後編の劇場アニメ化した作品。
2024年公開。
黒川智之監督、YOASOBIではボーカリスト幾多りら、タレントあの が声優参加で話題に。
さらに大幅に新たなシーンを追加してラストも異なる全18話のアニメシリーズも公開されました。
3年前の8月31日。突如巨大な『母艦』が東京へ舞い降り、この世界は終わりを迎えるかにみえた― その後、絶望は日常に溶け込み、大きな円盤が空に浮かぶ世界は今日も変わらず廻り続ける。 友情と初恋と終末と・・・ 2人の少女のディストピア青春日常譚‼
Filmarksより引用
幾多りらの確かな演技力は以前から定評がありましたが、今作においてもその実力は遺憾なく発揮されています。
門出の斜に構えたところや、逆に素直に喜ぶところなどけっこう落差が大きいキャラクターですが見事に演じきっています。
おんたん役のあのも少々舌足らずな感じはあるもののほとんど気にならないくらいで、おんたんの訳の分からない早口をまくしたてるのを流暢にこなしています。
劇場版2編は特にこの2人がとにかく際立つようになっていています。
空を覆う侵略者の巨大円盤「母艦」
巨大な母艦を創り、遠宇宙からやってくる「侵略者」たちは人間よりも上位の存在。
その侵略者たちのさらなる上位の存在がいる事が分かった時の読者・観客の絶望感
上位に絶対的な存在があるという事に漫然とした閉塞感を感じてしまいます。
実際の社会でも、政治に無関心な人々は政治に対しての絶望感を持っていて、何をやっても無駄なのではないかという閉塞感の中で日常を送っています。
政治家や大富豪などを上位に感じてしまって、しかも彼らに良いようにされてしまっている事になんとなく違和感を感じていても何もできないというのも閉塞感なのでしょう。
今作においての「母艦」は上空に覆いかぶさることで、現実の閉塞感の象徴ともなっていると考えられます。
しかもその閉塞感が普通になってしまって、その中で日常を送る事が良しとされてしまう気持ち悪さを描いているのだと思います。
おんたんはシフターです。
もともと彼女がいた世界線では目の前で門出は自殺してしまっています。
門出を救うために”やり直し”を選択します。時空を超えてほとんど同一の門出が生きている世界線にシフト(移行)するわけです。
そこで門出がひとりの殻に閉じこもって暴走していかないように、おんたんはお道化続けるわけです。
もともとは非常に大人しかったおんたんはその明るい振りをする事に全力を尽くしています。
だから無理するので、涙もよだれも鼻水も出まくるのです。
『ぼくは、門出の「絶対」だから』
このセリフは本当におんたんが思っている事で、命懸けで門出を守ろうとしている訳です。
門出が自分を信じてくれたことに対しての感謝と、目の前で飛び降りた門出に対しての苦しみを理解してあげられなかったという後悔を繰り返さないために。
日本を代表とするマンネリズムに満ちた4つの代表作品『ドラえもん』『サザエさん』『ちびまる子ちゃん』『クレヨンしんちゃん』。
毎週、決まった時間にいろんな事件やドタバタが起きるが、結局いつも通りの日常が展開されます。しかも何年経ってもキャラクターたちは歳をとらず、成長する事も老いることもないです。
また、『火の鳥』や『ゲゲゲの鬼太郎』も「死なない」という事でマンネリズムの作品でしょう。
劇中に主人公たちが読んでいた国民的人気マンガ作品として『イソベやん』というのが登場します。
内容的にはほぼ『ドラえもん』と同じような内容となっています。
ドラえもんに対応するキャラクターがイソベやんです。のび太に対応するのがデベ子という女の子。
デベ子を幸せにするためにイソベやんは便利な「内緒道具」をデベ子に貸し与えます。
のび太とデベ子の違いはデベ子はすでに憎しみと狂気に蝕まれているという事です。
デベ子は確かに非常に可哀そうなひどい目に合わされています。
特に怖い描写が、画像のぶっきらスティックの使い方の説明のページ。
嫌な思い出を思い出すところで、最後に思い出したのが両親と仲良く過ごしている様子であり、その後がコマで叫ぶセリフが「…くっ くたばれ!! クズ共――――ッ!!」なんです。
両親と仲良く過ごしている思い出が、最も嫌な思い出となっているという事なのか謎ですが、間違いなく狂気に蝕まれているのが見て取れます。
そして『イソベやん』を愛読している門出もデベ子を投影してしまっています。
ただ自分はもっとうまく内緒道具を使って見せると思っていますが、デベ子と同じ狂気に蝕まれ始めていると自覚できていないんですよね。
気付いた時にはデベ子よりもひどい状況になってしまい、結局自身を消してしまうという選択をしてしまいます。
『涼宮ハルヒの憂鬱』でも終わらない日常を「タイムループ」という形で描きました。賛否両論話題になりました。
小さな違和感に気付かないとタイムループから抜け出せないという物語です。。
『デデデデ』においては違和感に気付かないフリをして変わらない日常を送ろうとする人々が描かれます。
その気持ち悪さを際立てて、危機感をあおるような作りになっています。
門出たちは”終わらない日常”を強制されている事になんとなく気付いているのに見て見ないフリをし続けようとします。
キホが亡くなったのにも関わらず、みんな大学に行き、将来も仲良くしようとします。日常を変えることはしません。
大好きで仲の良かった友達が亡くなったのにその翌日から、いつもの日常を過ごそうとするその心理はもはや異常としか言いようがありません。
いち早く違和感に気付くが、誰も自分の言う事を聞いてくれない事で、小比類巻は自分の正しさを証明しようと狂気に流されていきます。
違和感を見て見ぬふりをするか、違和感に気付くも狂気に走るかのどちらかにキャラクターたちが二分されていきます。
どちらも極度に異常な状態になっていきます。
そんな異常さの中、中身が「侵略者」の大葉圭太は哀しむが至って冷静に地球人を見ています。
そんな中、おんたんはただひたすらに門出の事を思い続けます。
異常な状況や環境の中でも、その純粋な思いを必死に持ち続けようとするおんたんに侵略者である大葉圭太は恋するようになっていく訳です。
門出の髪型
小比類巻の髪型
イソベやん
イソベやんを被った侵略者の調査員
キノコは湿度の高い冷暗所で育ちます。胞子をまき散らし増えていきます。
不安や絶望が知らずに増殖していく様はキノコに似ています。不安や絶望を抱えたキャラクターは分かりやすいキノコ型のヘアスタイルをしています。
しかしよく見ると、おんたん以外の門出たち仲良し女子高生グループの子たちも、種類の違うキノコの形をしたヘアスタイルです。
たしかに彼女たちは漠然とした将来に対する不安と絶望を抱えて日常を過ごしています。
母艦が鍋蓋の形をして頭上にいる事で閉塞感を与えています。また8.31で起きたことに深い絶望を感じています。
そのことを踏まえて考えると、上部がフタや傘の様になっているモノで生物として思いつくものがキノコなのでしょう。
おんたんや門出たちの思いが深い絶望から小さな希望を生み出す原動力になっています。
イソベやんがデベ子を救うためにやって来たのと同じ事が言えるのかも。
キノコは絶望を抱えつつ、未来に希望を見出そうともがくモノの象徴になっているのかもしれません。
門出はメガネ
後半、小比類巻は髪の毛で片目しか見えない。それもたまに見えるだけ。
実は「侵略者」たちは騙されて地球に送り込まれてきたことが分かります。
非常に温厚な種族である彼らをその上位の存在達は邪魔だと感じ絶滅させるために、好戦的な種族”人間”が住む地球に移住させようとした事が語られます。
彼らは小柄で宇宙服のような服に丸い窓が付いた球状のヘルメットを着けています。
ヘルメットの中には人間と変わらない顔があります。
実は血が青いという事と極度に温厚であるという事以外に、人間と変わらない種族です。
もちろん、宇宙を渡ってくるような進んだ科学技術をもっています。
重力やその他のいろんな力をコントロールする技術、巨大宇宙船を建造する技術、広大な宇宙を旅するための超高速航法、時間や空間を超越する技術、など。
おんたん、門出を中心に見ていくと分かりやすいのですが、彼女たちから関係性が遠いキャラクターほどマンガチックなキャラクターデザインになっていきます。
水木しげる風、藤子不二雄風、手塚治虫風、いろんなデザインがあるのですが、記号化の激しい手塚治虫風のキャラクターがもっとも関係性が薄いキャラクターになっているのだと思います。
水木しげる風のキャラクターはどこか狂気を宿していたり、もしくは侵略者を含む人をイジメたり、社会的に圧力を掛けたりするキャラクターが多いと思われます。
侵略者たちのメカが身の回りにあるのものでデザインされている。
母艦は鍋蓋
中型船はルービックキューブ、木魚
マンガが原作としてあり、これを劇場版アニメとして公開するという流れはよくあります。
3部作であったり、複数編で構成されることもよくあります。
しかし、さらにそこから全18話のアニメシリーズを製作して公開するというのは非常に珍しいことです。
しかも劇場版で描いたものに原作でしか描かれていなかったものをプラスで描きます。
時間数にしてプラス1時間ほどの追加シーンがある事になると思います。
見方も解釈も結構変わってくるのかもしれません。
この作品は何かノスタルジックな印象もあれば、非常に新しい事もあるのが複雑な印象に繋がっていると思います。
自分はこの作品を観た時に「心待ちにしていたものが、いざ目の前に来てしまった時の緊張感」みたいのを感じました。
さらに複雑に社会問題やいじめ問題、差別による理不尽な行為、情報統制、押し付けられる日常、などを青春や友情などに絡めて描き出していて、しかもSFとして良く出来ているのがすごい作品だと思いました。
それから、何よりも幾多りらとあのの素晴らしい演技が際立つと思いました。ベテラン声優はもちろん、ベテランの俳優などもいる中でも、堂々とした演技でした。
それと、なぜか『もしも、学校が…!?』を思い出しました。
差別意識、UFO、超科学の不思議さ、と少し共通点があるように感じたのです。
以上の記事では
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