※2024年9月1日に記事の追記・修正を行っています。
さあ、【映画を楽しむコツ】の記念すべきvol.100は今年のもっともホットな作品である「シン・ウルトラマン」です!
観に行く機会を得ることが出来ましたので、楽しんできました。
2022年公開、樋口真嗣監督、庵野秀明総監修作品。
斎藤工、長澤まさみ、西島秀俊ら出演。
巨大不明生物が現れはじめた日本。巨大不明生物を「禍威獣(かいじゅう)」と呼称し、対禍威獣の専門家チーム「防災庁 禍威獣特設対策室専従班」通称・禍特対(かとくたい)を組織。
禍威獣ネロンガ出現時に禍特対が対応していると、突如、謎の銀色の巨人が飛来した。
恐ろしいほどの力を発揮してネロンガを消し飛ばし、天空へと去っていった。
禍特対に公安調査庁より分析官として浅見弘子が出向着任する。
神永新二とバディを組むことに。
禍威獣や外星人からの脅威に立ち向かっていく。
果たして銀色の巨人は敵なのか、味方なのか?
「ウルトラQ」のオープニングに寄せた映像でいきなり「シン・ゴジラ」のタイトルが出て、その瞬間「シン・ウルトラマン」のロゴが出ます。
その後、怪獣の目が怪しく光るのですが、これがゴメスの目でした。
ここまでの映像の流れは完全に「ウルトラQ」第1話の映像そのままです。
ゴメスはゴジラの着ぐるみを流用して製作された怪獣です。
それを踏襲して今作のゴメスは「シン・ゴジラ」のゴジラのデザインにそのまま角を付けたデザインになっています。
同じようにデザインを流用したわけです。
しかも「ウルトラQ」でもゴメスが現れたのはトンネル工事の工事現場です。
「ゴジラ」→「ウルトラQ」→「ウルトラマン」という時代の流れがあり、「シン・ゴジラ」を公開した以上、「シン・ウルトラマン」との間にいわゆる「シン・ウルトラQ」は必要な要素として入れずにおけないというわけです。
ゴメス(シン・ゴジラに角付けたもの)が出てきたので、そのつながりで敵性大型生物第6号地底禍威獣パゴス以降、出現する禍威獣は「初代ウルトラマン」で同じ着ぐるみから製作されたネロンガとガバラが登場します。
しかもデザインを流用するために設定上、胴体部以外をアタッチメントのように挿げ替えた生物兵器であるという設定になっています。
外星人についてもデザインがかっこいいです。
まずはザラブ星人。「初代ウルトラマン」でのデザインを踏襲しつつ、背中側がすっぽりと抜けているデザイン。
異次元的な力を持っていそうな異様さを醸し出していて、かっこよかったです。
そして、メフィラスです。人型時を山本耕史が怪演しています。
「〇○○、私の好きな言葉です」「賢しい(さかしい)選択だ」とか「割り勘でいいか、ウルトラマン」など名言を残しています。
そして、本来の姿も昔のデザインを踏襲していますが、眼球の存在しない感情移入しづらいデザインになっています。
まるで「エヴァンゲリオン」の使徒ですな。
実は全「ウルトラ」シリーズ通じて、ファンの中で大きく二つに分かれる流れがあります。
これはウルトラマン派と怪獣派のふたつです。
今作はその両方の派閥を満足させる作りになっています。
ウルトラマン好きには「ここがすきでしょ?」、怪獣好きにも「ほしいのはこれでしょ?」と語りかけられているかのようなデザインや設定・見せ方となっています。
そして、初代ウルトラマンのスーツアクターである古谷敏(ふるやびん)の体格をスキャンしてCGに起こしました。
彼の体格は身長180cmの8頭身で、マスクをかぶって7頭身という長身瘦躯です。
デザインは成田亨(なりたとおる)の初期デザインを踏襲したということです。
カラータイマーがついていないのはそのためです。
さらに目です。初代ウルトラマンにはスーツアクターの視界を確保するための穴がついていたのですが、これもなくなっています。
穴が黒目のように見えてしまい寄り目になっているように見えてしまっていたのが、スッキリと美しい印象になりました。
そしてなにより、背中にあったチャック、それを隠すための背びれがなくなっています。
そこに拘りがあるので、「シン・ウルトラマン」の公式ポスターはウルトラマンが背中を見せています。
さらにウルトラマンの体色の変化についても成田亨のデザイン画にあったものを採用しています。
銀色に黒から始まって、神永との融合後の赤、エネルギー枯渇時の緑、があります。他にも実は青などがありました。
色の原則的に赤色を反転させると緑色になるというのも取り入れています。エネルギーが十分にある状態を赤、その反転なので緑の時は枯渇してしまっている状態を表します。カラータイマーの代わりを務めるわけです。
銀黒のデザインは恐らく「初代ウルトラマン」放映開始された頃はまだカラーテレビが普及していなかったので、観ていた子供たちのほとんどはモノクロ映像で観ていたはずです。
その時に見たウルトラマンを見せているのでしょう。
人間と融合することでライン部分が赤くなるのですが、これは文字通り血が通ったという意味でしょう。
成田亨デザインでアルカイックスマイル(弥勒菩薩の微笑)を取り入れているため、口元はほんのり笑みをたたえています。
また、初代ウルトラマンには顔の種類が3種類ありました。
これはTVシリーズで何度も着脱を繰り返し、劣化してしまうので作り直す必要があったためです。
Aタイプはラバー素材だったためシワシワに。BタイプはAタイプと同じ型で素材を変えて製作。Cタイプは型から新しく造形しなおしました。
神永と融合する前はAタイプ。融合した後はピカピカのCタイプになっています。
このポスターのウルトラマンはよく見ると、口元や顔のシワ感や、トサカのサイドに黒いラインがあったり、体の色を観ると銀・黒のウルトラマンです。
つまり神永と融合する前のウルトラマンですな。
全体をモノクロっぽく配色して、ウルトラマン自体の色はあまり見せないようにデザインされたポスターになっています。
今作の目玉のひとつである体色の変化についてのネタバレにならないようになっているんですね。
もともとのポスターに完全に似せているわけなんですね。
しかも、ウルトラマンの横顔はやはりAタイプのウルトラマンで、モノクロっぽく加工されています。映っている建造物もほぼ同じものを採用しています。
「シン・ゴジラ」でも避難区域に老人夫婦が居残っていて自衛隊がゴジラへの攻撃を中止するシーンがあります。
守るべきものは絶対に犠牲にしないというのが、正義であるというのを見せるためのシーンです。
今作においても避難区域に子供が居残っています。
主人公・神永が保護のために走ります。
現実だったら神永が行くべきではないのですが、あえて守るべきものを絶対に犠牲にしないというのを強調するのと、ウルトラマンとの融合の理由をシンプルに見せるためです。
ウルトラマンは神永が自分の攻撃のあおりを受けて子供を守るために犠牲になったのを見て、命を共有することを決意します。
「野生の思考」という本を主人公・神永は読んでいるシーンがあります。その他にも人間を理解するために大量の本を読んでいます。
「未開文明でも、独自に進化していてある部分においては自分たちよりもはるかに進んだものがある」というのが書かれているのが「野生の思考」という本です。
ウルトラマンたちは個体で完結している存在として描かれています。
そのため「群れ」という社会を構築するというのが理解できないわけです。
つまりウルトラマンには社会性がないわけです。
だから、自分の分のコーヒーしか用意しない融合後の神永は浅見に叱られるわけです。
これは「普通の人との付き合い方が分からないオタク庵野秀明」=「ウルトラマン」なわけです。
この部分がラストシーンのウルトラマンとゾフィーの会話に生かされています。
「そんなに人間が好きになったのか、ウルトラマン──」とゾフィーに問われたウルトラマンの答えになっています。
「ウルトラマンがいるからじゃないの?」という問いにザラブ星人が沈黙をもって答えます。
これはメフィラス星人に雇われたザラブ星人というのを考えると、生物兵器であろう禍威獣たちを使って、ウルトラマンを悪役に仕立て上げることを計画していたわけです。
巨大不明生物6号のパゴス、7号ネロンガ、8号ガボラは首から下が同じでアタッチメント式になっていると言及されています。
メフィラスは地球人を生物資源として搾取するために、ウルトラマンを使って生物兵器を倒させます。
しかし、そのウルトラマンの超絶的なパワーを目の当たりにして人間たちは絶望感を感じてしまいます。
そこでニセウルトラマンが登場するわけです。
ニセウルトラマンはザラブ星人が化けているわけです。
しかし何を考えているのか分からない謎の銀色の巨人が街を破壊しようが、何をしようが指をくわえて見ているしかない無力な人間たちは絶望してしまいます。
全編、ず~っとなんだか不思議な感じのする映像になっているなぁというのが感想です。
原因を考えたところ、この映画は「シン・ゴジラ」と同じようにiphoneで撮影されている部分もあるそうです。
同じカットを撮影するのにiphoneを含めて使えるカメラを何台も回して、より良いアングルを選ぶという手法をとっていたそうです。
そのせいか色味がシーンによって変わったり、画質が統一されていなかったように思います。
よく言えば、昔のフィルム感はよく出ていたのだと思います。
これを故意に演出していたのだったらすごいのですが、メリットがないんですよね。
人によっては違和感を感じてしまったのではないかなと。
「シン・ゴジラ」での赤坂と同じ役どころで登場する竹野内豊
黒幕的な存在として登場。
しかし彼だけは役名が与えられておらず、「政府の男」としてのみ。
そして総理大臣役の嶋田久作なんですが、「シン・ゴジラ」で臨時政府の臨時外務大臣の片山をやっていました。
そこからのつながりで出世(もしくは押し付けられた)して総理大臣になっているのかもしれません。
ただし名前が違います。「大隈泰司」という名前になっているので別人なのですが、ユニバース的に何かつながりを感じます。
目を見せない=自分を見せない=眼鏡(サングラス)=ウルトラマンの目=何を考えているのか分からない。
庵野ユニバースにおいて孤独を感じているキャラクターは庵野秀明自身を重ねたオタクなんですよね。
社会的に気持ち悪がられ、理解されることがなかったオタクです。
世の中から本当の(SFオタクの)自分を隠しているので孤独。
隠れつつ世の中をみる孤独なオタク目線で全編描かれています。
目線を隠すことにより本当の自分になれる「ウルトラアイ」なわけです。そして外界から隔絶するためのアイテムでもあります。
今作で目が光っていて、感情が読み取れないのはウルトラマンを含めた外星人です。
禍特対の滝のデスク周りにはたくさんの模型が置かれていますが、その中に「スタートレック」のエンタープライズ号が印象的におかれています。
「スタートレック」の惑星連邦では、「ワープ開発以前の未開文明には一切の干渉をしてはならない」というのがあります。
あくまでも自分たちで成長した文明とファーストコンタクトして交流を開始するわけです。
今作のウルトラマンたちにも「光の国の掟」というのがあるようですが、これはまさにそのまま「スタートレック」です。
「バディ」を強調して神永と浅見に何度もセリフで言わせます。
しかし、ふたりの間に流れる雰囲気はどうにも恋愛に感じられてならないです。
浅見を庵野秀明の奥方安野モヨコと見る向きも多いのですが、今回は「バディ=恋人」と考えても差し支えないのではないだろうか。
恋愛としてみた方がなんだか納得感あるんですよね~。
以下、非常に興味深い考察をされている動画です。
安野モヨコ原作の「働きマン」などとの対比からドラマを読み取るというのを試みています。
この動画見ると神永と浅見の間柄は恋愛関係という事になりますね。
長澤まさみ演じる浅見隊員の描かれ方がセクハラじゃないか!という声を上げている方がいらっしゃるようです。
などなどです。
自分的な解釈を考えました。
まず、今作は昭和のドラマ、映画などでのセリフ回しや気合の入れ方などは今では奇妙なのですが、それを敢えて踏襲しています。
その一環として浅見の気合の入れ方も昭和作品っぽい演出なのだと思います。
しかし批判を受けるであろう部分も分かります。
自分の中のやましい部分なのですが、
スカートの中が見えそうなローアングル、ひじでビルを破壊する時にブラウスの胸が強調されたり、ビルを蹴ろうと足を振り上げたところでストップさせてみたりといったところにドキッとしてしまいました。
たしかに巨大化した浅見の描かれ方は少しエロティックな目線があると思います。
企画書に記載された予算が8~9億円ということなので、実際には10~12億円くらいですかね。
これは作品規模を考えると非常に少ないと言われています。
最低50億円くらいあってもよかったのではという声があります。
その低予算で縛りも限りもある中でもがきながら作った作品なのだと思います。
実際に「ウルトラQ」や「初代ウルトラマン」では怪獣の着ぐるみを使いまわして経費削減したりしていたそうです。
今作においては一部の禍威獣は「胴体部はほぼ一緒で頭などをアタッチメントのように付け替えただけ」という設定にしています。
これはCGで作るうえでの経費削減になったそうです。
ウルトラセブンなどで有名な実相寺昭雄監督の演出法が多用されています。
「何かをナメての被写体」というアングルや画面を極端に傾けたアングル、人物を画面中央に真正面を向かせる構図などが有名です。
「シン・ウルトラマン」ではこれでもかというくらいに実相寺アングルが多用され、「そこまでしなくても・・・。」なんて声が上がるほどです。
リピアとはヒメイワダレソウの別名リッピアから来ているようです。
ヒメイワダレソウは非常に繁殖力が強い外来種で既存の生態系に重大な影響を及ぼす重点対策外来種に指定されています。
これもウルトラマンの驚異的で圧倒的なパワーに人間たちは絶望を感じてしまうというところに似ています。
さらにその強い繁殖力から雑草除けにもなり「庭の守護者」とも呼ばれています。
花言葉は「友情」「絆」「私を理解してください」。
まさにウルトラマンを表すのにふさわしい名前です。
恐らく今作でもっとも驚き、ドン引きし、大笑いしたのが、ゼットン戦でしょう。
ゾーフィが現れるのですが、ゼットンを伴い地球を消滅させようとします。
これには元ネタがありますが、知っている人でも「え~~、こんなの持ってきちゃうの!?(笑)いいの?」となっていました。
その昔、「身長2mで宇宙恐竜ゼットンを使って大暴れする。」という誤情報を複数の児童書で記載してしまった事件がありました。
ゼットン星人とゾフィーがごっちゃになってしまったわけなんですが、これを正式設定に採用してしまうという、もうオタクを昇天させてしまうような展開が素晴らしいです!
さらにデザインも成田亨のデザイン「ウルトラマン神変」からのカラーリングを採用しています。
プラス、宇宙人ゾーフィの特徴のひとつトサカが黒いというのも取り入れられています。
そしてよく見ると正面から見た時に左右が非対称のデザインとなっていて、何か不気味さみたいなものを感じさせます。
数々の怪獣たちを倒してきた「初代ウルトラマン」が最終回に宇宙恐竜ゼットンに負けて死んでしまいます。
子供たちにとても大きな衝撃が走りました。
最後にゾフィーのおかげで生き返ったとはいえウルトラマンを倒した超絶対的なゼットンの恐怖を引きずったままの子供たち。
すると子供向け雑誌に驚愕の事実が記載されます。
「ゼットンは1兆度の火球を吐くことが出来る」。1兆度て、なんだ?それ?ウルトラマンが勝てなかった理由はそこだったのか!!
今作においてゼットンは、上記の動画にある科学考証が取り入れられていて、宇宙規模の最終兵器として登場しています。
ラストにゾーフィとウルトラマンが会話します。
瀕死のウルトラマンに対して、ゾーフィは光の国への帰還をすすめますが、ウルトラマンは神永が死んでしまうので、地球に残り神永として生きていくことを告げます。
その際に「そんなに人間が好きになったのか、ウルトラマン──」というセリフがあります。
ウルトラマンはこの時に地球に残る理由を語るわけですが、それが神永が読んでいた本「野生の思考」に書かれていた「未開文明でも、独自に進化していてある部分においては自分たちよりもはるかに進んだものがある」ということなんですね。
非常に弱い存在の人間ですが、けっして劣等種族なのではないということと、その社会という「群れ」の文化を理解したいという思いからの答えなんですね。
ただ、そんな好奇心だけではなく、人間たちに「友情」「絆」を感じていたからこそ命をかける選択をしてくれたんですね。
初代ウルトラマンの最終回にもほぼ同じシーンが存在します。
今作でゾーフィの声を担当したのは国民的な人気声優・山寺宏一。
いろんなカッコイイ役を演じているのですが、この時に思い浮かんだのはなぜか銭形のとっつぁんでした(笑)
ストーリーとしては「友情」と「信頼」が重要な要素として描かれていますが、友情や信頼を育む過程はほとんど描かれていません。
ここに違和感を覚える方が結構多かったみたいです。
この物語のウルトラマンはオタクである「庵野秀明=ウルトラマン(オタクの神)」と「モテ」の王である斉藤工が融合して巨大なヒーローになるということです。
そこですでに友情や信頼が成立しているわけです。
だから敢えて描く必要がなかったというのと、予算と尺の都合だったのだと思います。
子供に対し、外の世界(大人の世界)でのつらさや苦しみを一切見せない父親。
現在までの日本において母親が家庭にいる場合、子供と一緒に過ごす時間は圧倒的に母親の方が多い。
理解度でいえば母親に対して、依存度(安心感)は高いのは当然のことです。
父親は逆に遠い存在であります。
ある時、父親は大きな背中を追いかける憧れの存在であり、またある時、父親は自分の意思を通そうとした時に社会の入り口の門番として立ちふさがる障害でもあります。
しかし父親は家族のため、子供のために、外で命がけで戦い続けます。
今作におけるウルトラマンはある意味父親的な遠さのある存在なのかもしれません。
この動画見て涙出るほどうれしかったです!まったく「ウルトラマン」を知らない人のレビュー動画が上がっています。
彼女たちは庵野秀明作品というか「エヴァ」が好きみたいで「エヴァ」のレビューが結構あります。
とは言え、「ウルトラマン」に対して更なる興味を示してくれているのは何気にうれしいですよね。
「世代を超えられるか?」という問いのひとつの答えがここにはあります。
旧劇場版「エヴァンゲリオン」シリーズでは庵野秀明は自己の内部吐露を描きました。
これは「気持ち悪い」と言われてきた自分を丸裸にしてすべてをさらけ出すものだったわけですが、同時に「この作品を喜んでみているお前らも気持ち悪いんだぞ!!」というのを表現しています。
しかし描き終わってみると、みんなやさしくて、なんで「おまえらも気持ち悪いわ!!」なんて憎まれ口叩いた自分を認めてくれるのかと思い「シン・エヴァンゲリオン劇場版」でやさしさに触れることが出来て成長したことを描きました。
そして、今作は「オタクはこういうところを見ているんですよ」、「この作品はおもしろいですよ」というのをセリフでなく映像で見せることによって、「ウルトラQ」から続く「ウルトラ」シリーズを紹介する作品になっています。
つまり「わかる人にしかわからない」ではなくて「分かったらもっと面白いでしょ?」「こういうところが本当に好きなんですよ」というのを表現しています。
つまり「エヴァ」との違いは「これが俺の中身じゃあ!気持ち悪いだろってか、これ見てるお前らもキモいんじゃ!」ってのから「自分はこの作品をこんな風に楽しんだし、その頃みんなこんな感じのこと思ってたんですよ。そしてこれを知ってたら、もっと面白く見れますよね~」になっているのだと思います。
今作品の中で何か違和感を感じた部分があったら「初代ウルトラマン」を観て、そのうえでググったら解決することが多く散りばめられています。
ウルトラマンといえば、宇宙忍者バルタン星人というくらいのキャラクターですが、。。
出てきません!(´;ω;`)
スペルゲン(今作ではスペシウム133)が弱点のバルタン星人。スペルゲン反射鏡を開発し再び現れてウルトラマンのスペシウム光線をはね返す話があります。
その後ウルトラシリーズでは常連の宇宙人として何度も出てくるのですが、今作には出てきません。
ちょっと悲しいな~。。
今作ではすでにザラブ星人がスペシウム光線を受け止めてしまいます。あえて同じことをするキャラクターを描かないというのを選択したのかなと解釈します。
もちろん尺の問題があります。
3部作構成の構想があったのでそれが実現していたらバルタン星人の出番もあったのかもしれません。
初代「ウルトラマン」の企画時、もともとはウルトラマンの出身地の設定は「M87星雲」だったのが、台本の誤植により「M78星雲」になってしまい、訂正することなくそのままになってしまったという経緯があるそうです。
結果、ゾフィの必殺技名も「M87光線」なのはもともとの設定を引き継いでいるからなんですね。
そこで主題歌を担当する米津玄師がもとの設定の「M87」を採用して「M八七」になったとのことです。
歌詞がグッと来てしまいます。
「君が望むのなら応えてくれるのだ」という歌詞にあらわれているのが、
個体として完結している存在で孤独を感じているウルトラマンが、
それでも我々人間が望めば「応えてくれる」という強く儚いメッセージがもうホントにせつないです。
なぜウルトラマンはそこまでして応えてくれるのか?そこに何の利もないのにです。
映画を観て終わりにこの曲が流れて歌詞を聞いたときに涙が溢れます。
今作のBGMは「ウルトラQ」「初代ウルトラマン」で使われていた曲を要所要所で使用しています。
懐かしい曲が聞こえてくるたびにグッと来てしまいました。
エンドロールを観たときにたくさんのタイトルが並んでいてこんなに多くの曲を使用していたんだなと「おお!」とうなってしまいました。
もちろん効果音も基本的に「ウルトラQ」「初代ウルトラマン」で使用されていたのと同じ音源を採用していてうれしかったですね~♪
空を飛ぶウルトラマンの飛行音、変身の効果音、スペシウム光線、禍威獣たちの鳴き声、打撃音や爆発音など、ホントに芸が細かいです。
ただいまAmazonプライムビデオでは「ウルトラ」シリーズを好評配信中。
またU-NEXTではほとんどの「ウルトラ」シリーズを見放題配信中です。