SFやホラーでたびたび話題になるのが、「人間とは?」という根源的なテーマです。
科学を突き詰めると哲学や倫理の問題が必ず出てきます。その中で特に「人間とは?」とか「自分とは?」という問いはよく登場します。
ちょっとだけこの難しい問題を紹介します。
義肢・義体などによる境界線
例えば、事故により手足を欠損してしまった人が義肢をつけますが、当然、この状態の人は「人間」です。
ここからいろんな部位を義肢や人工の臓器などに交換していきます。
最終的に脳以外のすべてを人工物、つまり義体に差し替えます。この状態が「攻殻機動隊」でいう完全サイボーグと言う状態です。
しかし、脳が残っていればサイボーグはいわゆる中身は「人間」です。
そこで代替えの効く脳の部分を徐々に人口頭脳に置き換えていきます。
最終的に脳細胞がほんの数個残っている状態になった状態、これは果たして「人間」と呼べるのでしょうか?
同じことが「攻殻機動隊」に少しだけ描かれています。
生きてはいるけれど。。
また、小林泰三の「人獣細工」というホラー小説では自分を人彘(ひとぶた)と悩む少女が登場します。
彼女は病により、身体の各部位を豚を使って自分の遺伝子から培養された、手足や臓器に交換する手術を何度となく受けます。
手術を行ったのは実の父親であるが、彼が亡くなって見つけた資料とビデオを見ると、
なんと自分は順番に体のすべての部位を豚で培養したものに交換されていたことを知ります。
しかも最後には培養された脳と交換されてしまったことが発覚します。
自分は「自分」なのか!?
「自分」とは記憶なのか?
よく脳活動のすべては電気信号で表されるといいます。
「マトリックス」のように直接脳に電気信号を送り、寝ながらにして人生を送るというようなっことが描かれます。
そして、その上で「自分は何者か?」というテーマを絡めると、必ず現れるキーワードは「記憶」です。
記憶こそが「自分」を自分たらしめている根源だと言われます。
しかし、記憶も電気信号でしかなく、「ブレードランナー」のように他人の記憶や作成した記憶を植え付けることが出来るのだとしたら、根源すら作り出せるという事になります。
「自分」だと思っているのは実は「思わされている」だけに過ぎないかもしれません。
「胡蝶の夢」
「胡蝶の夢」とは夢の中で胡蝶(蝶のこと)としてひらひらと飛んでいた所、目が覚めたが、はたして自分は蝶になった夢をみていたのか、それとも実は夢でみた蝶こそが本来の自分であって今の自分は蝶が見ている夢なのか、という説話である。
「自分てなに?」という問いなんですよね。つまり人間とは何か、自分とそうでない物との境界はどういったものなのか?
考えれば考える程、深みにはまりそうな哲学です。
「我思う、故に我在り」(コギト・エルゴ・スム)
「私は考える、ゆえに私は存在する」の意。 デカルトが方法的懐疑の末に到達した根本原理。徹底的にすべて疑う事で「これだけは本当」というものを探そうとしたわけです。
その結果、すべてを虚偽(ウソ)だと考えることはできても、そう考える自分自身はの存在は疑いえないという事にたどり着きます。
この自我の明晰、判明な確実性をすべての知識の基として、物事を考えようとしました。
まとめ
以上、SFやホラーで語られるよく語られるテーマ「人間とは?」についてでした。
最後まで読んでいただきありがとうございます。今回の記事は以上となります。
この記事を気に入って頂けましたら幸いです。
また是非、SNSなどでシェアしていただければと思います。
コメント