2022年夏で注目作品のひとつ「ソー:ラブ&サンダー」。
最近はMCU見るのには非常にエネルギーが必要なんですよね。
キャラクターは多いし、設定は複雑に絡みあってるしで。
しかし今作はそんな中、分かりやすく爽快に見せてくれました。
是非ご覧になってください。
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※注意:この記事にはネタバレが多分に含まれています。作品をご覧になっていない方にはオススメできません。
作品概要
2022年公開のタイカ・ワイティティ監督作品。
マーベル作品の人気キャラクター「マイティ・ソー」のシリーズ第4作品。
出演はクリス・ヘムズワース、クリスチャン・ベール、テッサ・トンプソン、ナタリー・ポートマンら。『マイティ・ソー ラグナロク』の続編でシリーズ4作目。
ざっくりあらすじ
「アベンジャーズ/エンドゲーム」の激闘後、多くの仲間を失ったソーはガーディアンズと地球を後にしていた。そんな彼らのもとに、宇宙各地の神が殺されているという情報が入る…。ソーは次の標的がニュー・アスガルドであることを知り駆けつけるが、突如“神殺し”のゴアが襲いかかる。だがその時、新たな“マイティ・ソー”に姿を変えた元恋人ジェーンが現れる。そしてその手には、最強のハンマー〈ムジョルニア〉が…!?2人のソーによる破壊力2倍のロック・バトル・アドベンチャーを見届けよ!
Filmarksより引用
なぜソーは落ちぶれてる?
サノスの首を取ったソーは英雄と呼ばれますが、破壊や死をもたらすばかりで何も創造できない自分は神として何のために存在するのかと苦悩します。
だから、求めには応じるがそれ以外の時には自問自答をし続ける日々を送るばかりでした。
さらに自分も神ではあるが、堕落した神々を見て神に失望してしまいます。
そこで自分が求める神としての理想を見つけます。
今回のヴィラン:ゴア
全ての神々を殺害するため、ある奇妙で恐ろしい剣を手に動き出す傷ついた男。“ゴッド・ブッチャー”(神殺し)の異名を持ちます。
クリスチャン・ベールが怪演しています。
特殊メイクなのですが、表情がありありと分かり、悲しみや憎しみの表情が引き立ちます。
ムジョルニアとストームブレイカー
ソーは「雷神トール」とも訳すことが出来るのですが、彼の持ち物として「雷の槌(トールハンマー)」があります。
これは劇中「ムジョルニア」と呼ばれています。
MCUでは「ソーの力」を表す象徴で、《高貴な魂の持ち主》でなければ、どんなに力があっても持ち上げられないという魔法がかけられていました。
「マイティ・ソー バトルロイヤル」でヘラによって粉々に砕かれてしまいます。
今作ではソーが「ジェーンを守ってくれ」と願ったことを忠実に守るために瀕死のジェーンに「ソーの力」を与えました。
ストームブレイカーはムジョルニアと同じ「ウル」という金属でドワーフの職人・エイトリの技術によって作り出されました。
ソーの身長の半分ほどもある大きな斧の形をした武器です。
ムジョルニア同様の飛行能力や強大な破壊能力など新たなソーの武器としてはもってこいの性能です。
そして、今作においては意志が宿っているように描かれています。
戻ってきたムジョルニアに愛おしそうに話しかけるソーを見てやきもちを妬くなど、非常にかわいいです。
ジェーン
ジェーンは天才物理学者なのですが、ステージ4のガンに犯されてしまい死を待つだけになってしまいます。
そしてムジョルニアに呼ばれ、ムジョルニアを手にすることで「ソーの力」を得て、ソーの前に現れます。
原作とのギャップ
ゴアがあまり悪くない
ゴアは原作ではかなりヘビーな描かれ方をして、完全に闇堕ちしたキャラクターとなっています。
純粋な悪と言えるでしょう。
しかし今作のゴアは親の愛情ゆえに、子供が辛く悲しい目に合わないように最初から残酷な世界のことを教えようとしているように見えます。
あまり悪い存在に見えないんですよね。
親の愛情
親の愛情を子供に見せるための作品になっています。上記でも書いたのですが、ゴアが純粋な悪ではないヴィランとして描かれています。
そしてゴアはさらった子供たちにこの世は「あまりにもクソだ」という事を教えようとします。
脅かすだけでケガひとつさせていないんですよね。
そして神が人間を苦しませ搾取するために「信仰」を利用している事を知り、そのために娘が死んでしまったことがゴアを神殺しに駆り立てているというのが共感できちゃうんですよね。
冒頭のシーンで初めてネクロソードを手にしたゴアがラプーを殺そうとした時には「そんな奴やっつけてしまえ!!」と共感してしまいました。
ネクロソードの設定
ネクロソードは原作においてはシンビオートを元に作られています。
憎悪などのマイナスの感情に魅かれ、増幅するシンビオートの性質を持っています。
もちろん、持ち主に語りかけ、自身の意志で持ち主を選びます。
しかし、複雑化するからなのか今作ではシンビオートについてはまったく触れられていません。
光の世界と影の世界の対比
今作は基本的に対比構造となっています。
神と人間、光と影、不死と死、愛と憎しみ、悲しみと笑い、作品と観客などいろんなものが二元論的に対比されています。
ゼウスのいる神の国と影の世界
神々が集まる街オムニポテンツ・シティとゴアがさらった子供たちを幽閉していた影の国との対比が描かれています。
神々は黄金を基調にした光溢れる姿で色鮮やかに描かれています。
彼らはオムニポテンツ・シティに閉じこもってオリンポスの場所をゴアに秘密にするために、さらわれた子供たちを見殺しにすることを選びます。
しかも、ソーへの援軍を断り、ゼウスの強力な武器サンダーボルトの貸し出しも断ります。
あまりにも自堕落で不甲斐ない神々に激怒したソーはサンダーボルトを強奪してオムニポテンツ・シティを脱出します。
いろんな映像技術を使った広大な空間と幻想的な最新の映像に仕上がっています。
影の国では自堕落な神をすべて抹殺するためにゴアが子供たちを幽閉し(でもケガひとつさせない)、宇宙の中心にあるどんな願いも一つだけ叶える場所『永久(とこしえ)』に向かいます。
影の国には色が存在せずに、モノクロの世界に仕上げられています。
ムジョルニアやストームブレイカー、サンダーボルトなどの神の力を持つ道具から発せられる光を受けた部分だけが色がついているという演出がされています。
そして影の国自体も小さな星として描かれています。これは最初のSF映画と言われている「月世界旅行」をモチーフにしています。
愛する者を失ってしまったゴアと失いかけているソー
愛する者を失い、闇落ちしてしまったゴアに対比しているのが、愛する者を失いかけているソーになります。
ゴアは自分の怒りや憎悪などに身を任せることを「選択した」者であり、全く迷いがありません。
対してソーは神としての自分を見失い迷いながら、ジェーンに対する愛情を後悔することも含めて受け入れていきます。
迷いなく愛ゆえの絶望を拒絶することを選択したゴアと、迷いながら愛ゆえの絶望も受け入れる選択をしていくソーの対比となっています。
また、ゴアは元信仰者であり、ソーは神です。
信仰する者とされる者の対比にプラスして、信仰を捨てた者と、信仰する者と神の間を取り持つ者としても描かれています。
光と影、神と神殺し、壊れたムジョルニアとネクロソード
光と影を対比しています。しかしこれは善悪の対比ではありません。性質の違いを表しています。
神と神殺しは永遠の命を持つ神と、神を殺せる力を持つゴア(有限の命)を対比しています。
また、傲慢さと自堕落を象徴する神と、ひとつの目的(信仰や神殺し)のためだけに純粋に何もかも投げ出すことが出来るゴアは対照的に描かれています。
この作品の中では、迷ったり、絶望した者はスリムだったり筋骨隆々としたスタイルで描かれ、自堕落で傲慢なもの(ゼウスなど)はでっぷりした姿で描かれます。
構成メンバーが少なくて見やすい
MCUは「アベンジャーズ」などたくさんのヒーローたちがいるので登場キャラクターが半端なく数が多いです。
今作においては出来るだけでメンバーを少なくしているので非常に見やすくなっています。
爽快さ!一本!!
ソーの見事な肉体美
「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー」以降、ソーは神としての自分を見失ってしまい、自堕落な生活をして、酒に溺れていました。
おかげで、でっぷりとした姿になってしまいました。
それが、今作「ソー:ラブ&サンダー」では見事な肉体が復活しています。
ゼウスの側仕えの女神たちも惚れ惚れとしてしまう、痺れる程美しい肉体美を魅せてくれています。
ヴァンダムアクション
この両足を水平に広げるアクションでもっとも有名なアクションスターといえば、ジャン=クロード・ヴァン・ダムです。
今回のソーのアクションはローリング・ソバットなど、ジャン=クロード・ヴァン・ダムを意識したものが多くて、思わずニヤリとしてしまいました。
ヴァルハラ
北欧神話における戦死者の英雄が住む主神オーディンの館のことです。
まあ、アスガルド人の天国みたいなもののことです。古代ノルド語では「戦死者の館」とも言われています。
今回、アスガルド人ではない人間のジェーンが最後にヴァルハラに迎えられました。
これはムジョルニアによって「ソーの力」を得て、正義のために戦士として戦ったことによってアスガルドの戦士として認められたという事を意味します。
MCUにおいて死はひとつの状態でしかないことが分かっています。
今後、ジェーンはアスガルド人のように条件が整えば、甦ることが出来るという事でしょう。
また、ふたりの「ソー」が一緒に戦うのを見ることが出来るようになるかもしれません。
ポリコレについて
最近、よく聞くようになった「ポリコレ」という言葉。
「ポリコレ」とは「ポリティカル・コレクトネス」の略で、
社会の特定のグループのメンバーに不快感や不利益を与えないように意図された政策または対策などを表す言葉の総称であり、人種、信条、性別などの違いによる偏見や差別を含まない中立的な表現や用語を用いることを指す。政治的妥当性とも言われる。
Wikipediaより引用
簡単にいうと、偏見や差別にならないように気を付けて物語を描いたり、設定を考えるという事です。
性的なことを描く際には同性愛やいわゆるマイノリティーも描いたり、人種を偏らせないように配慮してキャスティングしたりすることになります。
社会的には良いことだと思われます。
ただ、作品についてはいろんな影響があると思います。
原作がある場合には、そのままの設定では扱えず、違和感が出てしまう場合もあります。
メリット・デメリットがあります。
この流れは電八個人的には非常によい流れだと感じています。
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最後まで読んでいただきありがとうございます。今回の記事は以上となります。
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